rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

11月11日 北朝鮮は何故、文政権を冷遇しているのか

 

 本日は、労働新聞から離れて、標記についての思いつきを書き連ねてみました。

誠に未整理ながら、何かの参考になれば幸いです。

 

問題の所在

 韓国文政権に対する北朝鮮の冷たい対応が続いている。最近の金剛山観光地区における韓国側施設の撤去要求は、その際たる例と言えよう。昨年9月の文大統領の訪朝時における厚遇ぶり、あるいはその後の様々な対話・交流の活性化を回顧すると、実に今昔の感に堪えない。以下、北朝鮮がこのような対韓姿勢を取っている理由の検討を糸口として、大胆(無謀?)な推量・仮説も交えつつ、北朝鮮にとっての韓国の位置づけを改めて考察してみたい。

 その理由として、まず誰しもが考えつくのは、文大統領がこれまでの金正恩委員長との会談時などにおいて、「民族共助」の理念に基づく南北の関係強化の意向を表明ないし約束したにもかかわらず、その後の実際の行動においては、国連の対北朝鮮制裁の堅持を目指す米国との協調維持を重視する余り北朝鮮への実質的な支援をほとんど実現できず、一方、米韓同盟に基づく共同軍事演習などを継続していることに対する北朝鮮の失望ないし不満であろう。

 また、米朝交渉が北朝鮮の思惑通り進展しないことに関連して、当初、韓国から伝えられていた米国のスタンスと実際に交渉の場で示された米国のそれとの間に相当の乖離が存在し(とりわけ、それが本年2月のハノイでの第2回首脳会談で顕著化し)、韓国に対する不信感を募らせているとの見方もできよう。

 しかし、そのような不満・不信が存在するとしても、北朝鮮にとって、文政権の融和的姿勢に乗じて、南北関係をできる限り進展させることには、相当の利得も想定できる。すなわち、仮に北朝鮮が文政権の様々な交流提案に前向きに対応していたとするなら、韓国内はもちろんのこと国際社会全般における北朝鮮のイメージは、相当改善していたであろう。また、韓国をはじめとして国際社会から現在以上に豊富な「人道支援」などを受けることができていたであろう。そして、そのような北朝鮮イメージの改善は、当然、米国内にも波及し、トランプ政権の対北朝鮮姿勢にも直接・間接に影響を及ぼしていたであろう。その結果「非核化交渉」における対北朝鮮姿勢が若干なりとも緩和されていた可能性も否定できない。北朝鮮は、韓国への冷淡な対応により、これらの「得べかりし利益」をみすみす失っているとも言える。

 したがって、北朝鮮の対韓強硬姿勢の裏には、単なる感情的な反発だけではなく、より合理的な打算が存在すると考えるべきであろう。では、北朝鮮が対韓強硬姿勢を通じて目指している利得とは何か。現在の北朝鮮にとって、米国との非核化交渉の成功は、極めて重要な課題であろう。それを「犠牲にして」とまでは言えないにせよ、それに有利に働き得る機会を捨て、あるいは不利に働くおそれを顧みず、なお追求しなければならない目標とは何なのか。

 

「文政権圧迫による対米影響力の行使」という誤解

 北朝鮮の対韓高校姿勢に関連して、報道などでしばしば取り上げられるのは、文政権を圧迫することによって、米国に対し、非核化交渉において北朝鮮により宥和的になるよう影響力を行使させることを目指しているとの考え方である。

 しかし、この考え方には賛同できない。何故なら、文政権のトランプ政権の対北朝鮮姿勢に対する影響力は、米朝交渉開始前後の時期には確かに一定程度存在したであろうが、現時点に至っては極めて限定的であり、とりわけ、南北関係が膠着状況にある中での対北融和の働きかけが効果を上げるとは到底考え難いからである。仮に、北朝鮮がそのような方向での韓国の対米影響力を期待するのであれば、むしろ南北関係を発展させることこそが、そのような影響力の効果を増大させる上で必要な対応となろう。

 

韓国の国論転換に向けた揺さぶり

 そこで提起したいのが、韓国内におけるいわば「同族重視」的な思潮の高まりに向けた揺さぶり策との見方である。すなわち、対韓強硬策によって、韓国内で「現在のような米国追随を続ける限り、同一民族である南北間の交流拡大、平和定着は満足に推進できない。この際、米国に対しては、より自主的な姿勢で臨むべき」との思潮が拡大することを目指すというものである。このような考え方は、既に韓国内の一部に存在すると思われるが、それを更に拡大普及ないし強化することを目指しているのではないだろうか。

 言うまでもなく、北朝鮮によるこのような考え方の宣伝は、今に始まったことではない。ここで注目すべきは、前述のような獲得の期待できる具体的な成果を当面放棄してまで、そのような考え方の拡大を優先させているということである。その背景としては、北朝鮮指導部が、そのような働きかけによって、現実に韓国の国論の変更が可能と考えている可能性をあげることができよう。つまり、当面の成果は犠牲にしても、ここで頑張れば韓国を米国から我が方(北朝鮮)に方向転換させるという一大成果が期待可能であるとの判断が働いているのではないだろうか。

 そして、そのような推論を更に延長すると、北朝鮮においては、米国との関係改善よりも、韓国の国策なり国論を根本的に転換させることの方が一層重要との価値観が存在するとの結論を導き出すことが可能となる。これは、非常に注目すべき考え方と言える。何故なら、北朝鮮の公式的なイデオロギーによれば、韓国政府は米帝国主義の傀儡政権である。そうであれば、その「親玉」である米国との関係さえ修復できれば、南北関係は自ずと自らに有利な形で解決できるはずである。換言すると、米国との関係を改善できない限り、韓国との関係を抜本的に改善することも期待できないはずである。それにもかかわらず、現実の政策においては、韓国への働きかけ(交流拡大と言うことではなく、その抜本的体質改善に向けた揺さぶり、という意味での)を対米関係の調整よりも優先させているとすれば、それは北朝鮮の対韓認識が従前の公式的なもの(米国の半植民地)から大きく変化したということを意味しているとも考えられる。

 

北朝鮮国内における思想統制維持の必要性

 もう一つの可能性としては、北朝鮮国内における対韓警戒心の弛緩を防ぐためとの理由をあげることができる。すなわち、南北関係を実質的に進展させ、人的ないし物的交流などを余りに拡大しすぎると、北朝鮮国内において、韓国の物質文化ないし思想理念などが流入して、対韓警戒心の弛緩を招き、国民の思想統制、公式的価値観の維持が困難になるおそれがあると見て(あるいは現実にそのような副作用が発生したために)、いったん開きかけた韓国との交流の門を閉ざさざるを得なかったというものである。

 このような見方の根拠となり得る現象として、北朝鮮が2018年年末ころから「我が国家第一主義」とのスローガンの下、国旗をはじめとする様々な国家のシンボルを前面に押し立てて、「国家」への忠誠を強調する思想宣伝活動を開始したことを挙げることができるかもしれない。このようなキャンペーンの開始は、この時期、北朝鮮指導部が「愛国」を強調する必要に迫られていたことをうかがわせるものと言えるからである。

 また、このところ北朝鮮が「自力更生」を改めて強調し、その中で、「誰も我々を助けてくれないし、我々がうまくいくことを望んでいない」旨を強調していることも、韓国との交流活発化を契機に北朝鮮国内において韓国からの支援に期待ないし依存する発想が生まれたことを受けての措置と考えることも可能であろう。

 ここで想起されるのは、昨年11月から12月にかけて、南北の鉄道連結を前提に北朝鮮側が韓国側に国内の鉄道状況の精密な調査を許した結果、本年3月、韓国側が北朝鮮鉄道の整備状況を酷評するような調査結果を公表し、北朝鮮側がこれに強く反発した事例である。勝手な推測であるが、このような出来事は、北朝鮮国内では、まさに支援欲しさに目がくらんで機密を売り渡した挙句、恥をかかされた事例と映ったのではないだろうか。

 仮にこのような事情なり動機によって北朝鮮が対韓姿勢を硬化させたとするならば、北朝鮮にとって好ましいのは、北朝鮮に対し宥和的な韓国なのか、あるいは敵対的な韓国なのか、という設問が意味を持ってくるのではないだろうか。北朝鮮は、公式的・表面的には、前者を期待する旨主張しているが、国内統治の上では後者の方が好都合なのではないかとも考えられるからである。

 もちろん、韓国が前述したような国論の転換を遂げた後、北朝鮮がある程度主導権を握った形での交流が拡大するのであれば、それは北朝鮮にとって望ましいことであるかもしれない。しかし、現状のままの韓国との交流拡大は、韓国側の意図はどうであれ、北朝鮮は必然的に被援助国として、いわば「目下」の立場に置かれことなり、国民の自体制に対する「自尊心」の損傷を招くなど国内の思想統制上看過できない悪影響を及ぼすことになるのではないだろうか。そのような状況よりは、むしろ韓国との緊張関係を演出して、国内の引締め、結束を強めることのほうが、体制維持という視点で得策との判断が働いている可能性があろう。

 

結び

 以上の議論を要約すると、最近の北朝鮮の韓国に対する強硬姿勢からうかがうことができるのは、北朝鮮にとっての韓国の位置づけが、その公式的な主張・言説とは相反する、逆説に満ちたものである可能性である。すなわち、北朝鮮は、韓国が既に米国の支配から離脱し得る可能性を内包していると見ており、同時に、南北関係の進展が体制維持を危うくすることを警戒しているともが考えられるのである。

 もとより、そのような議論は、推論の上に推論を重ねたものであって、仮説の域を出るものではない。ここで性急な結論を下すことは避けるべきである。しかし、それでもなお、本稿における考察の結果は、北朝鮮の今後の対韓政策などを見ていく上での着目点を提供するものと考える。