rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

12月17日 金正日死去8周年関連報道

 

 本日は、金正日の死去8周年ということで関連報道が多い。まず、それに際し、金正恩錦繍山太陽宮殿を訪れたことが報じられている。同行者中、崔竜海最高人民会議常任委員長と朴奉柱党副委員長だけが「同行」と報じられ、金才竜総理をはじめとする党中央委政治局メンバーは「共に参加」とされた。平素の報道あるいは行事の際の着席位置などでも同じだが微妙な格付けがされている。崔竜海と朴奉柱は政治局常務委員だから別格で、金才竜は、総理ということで他の政治局委員とはやや違う扱いなのであろう。

 また、社説「偉大な領導者金正日同志の不滅の革命業績を万代に永く輝かしていこう」と論説「社会主義偉業遂行に不滅の貢献をされた卓越した領導者」が掲載された。前者は総論的に、後者は1990年代の冷戦体制崩壊時において国際的社会主義運動の危機を救ったとの主張に基づいて、金正日の業績を称えたものである。このほかにも、同人に関する追悼・回想など多くの記事が掲載されている。

 このうち社説について、まず、金正日の偉大性をいかに整理しているかを見たい。それは、言うまでもなく、金正恩金正日の何をいかに継承しようとしているかを示すものであり、以下の3点があげられている。①指導的指針を準備した卓越した思想理論家、②我が国家の政治軍事的威力を強化した稀世の政治家、③犠牲的な愛民献身で自力富強、自力繁栄の土台を築いた絶世の愛国者。なお、このうち②の軍事分野の業績については、「我々の国防工業が決心さえすればなんでも作り出せる強力な主体的国防工業へと強化発展し、我が人民軍隊は現代的な攻撃手段と防御手段をみな備えた無敵必勝の革命強軍として威容を轟かすに至った」とだけ述べて、核ミサイルなどへの具体的言及は控えている。

 社説は、それに続けて、そのような金正日の「革命業績を輝かしていく」ための課題を挙げているが、その柱は次の4点である。①金正日同志を我が党と革命の永遠の首領として、主体の太陽として千年万年高く奉じ仰いでいく、②金正恩同志の思想と領導を忠誠で奉じていく、③全人民が白頭の革命精神でしっかりと武装するための熱風を強く起こす、④自力更生の旗幟を一層高く掲げ富強祖国建設に総邁進する。

 このうち①と②の関係を見ると、金正日を「首領」として祭り上げる一方、具体的な思想、領導については金正恩自身を淵源とすることを求めていると言える。また、③は、このところの革命伝統教育強化の動きを受けたものであることは言うまでもなく、その目指すところは、「『生産も学習も生活も抗日遊撃隊式に』とのスローガンを高く掲げ、白頭の屈することのない革命精神で生き、闘争することが我が社会の固有の気風に、国風になるように」することとされる。このスローガンは金正日が提起したものとされるが、このところ金正恩が目指す「国風」確立のために改めて持ち出されたものと考えられる。④が最近の基本路線をそのまま反映したものであることも、また論をまたない。

 要するに、金正日の偉大性なり業績なりは、金正恩が現在進めている路線・政策を権威付けるために、再構成された上で提示され、国民はそれを継承・実践することを求められているといえよう。

☓     ☓     ☓     ☓     ☓

 以下は、金正日の命日に際しての個人的感懐であるが、8年前、金正日死去の報に接した時、誰が今のような金正恩の強力な指導ぶりを予想できたであろうか。近々の政治的混乱、体制崩壊を予想する声も少なくなく、そうでなくても「集団指導体制」を予測する人が少なくなかった。 

 私自身は、北朝鮮の体制原理(首領制)から言ってそれはありえず、「集団輔弼体制」というべきと主張した記憶があるが、それにせよ、金正日による継承準備期間と比較して金正恩の準備期間が短かったことなどから、体制の安定性が相当低下することは避けがたいと考えていたし、いわんや、金正恩が短期間のうちにこれほどの強力なリーダーシップを発揮するとは予測できなかった。私も含めてだが、何故、予測を誤ったのか、「あの日」に立ち返って、真摯な反省と検討が必要であろう。

 今から思えば本当にバカな話だが、当時の野田総理は、金正日死去のニュースを知りながら官邸を出かけ(また戻ったのだが)「危機管理がなっていない」と当時野党の自民党などから批判された。今にでも大混乱が起きる蓋然性があるとの認識がそれほど広く共有されていたわけである。しかし、実は、そのニュースの内容(国家葬儀委員会のメンバー)などから判断して、当該時点で混乱が起きる可能性はまずないことは自明であったのであり、総理が官邸から出かけても何ら問題なかったし、逆に右往左往するほうがみっともなかったとも言える。朝鮮半島をめぐる事象については、今も昔も、こういった政治利用の「ためにする」話が多いことは誠に寒心に耐えない。