rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

1月20日 「2019年農業部門総括会議閉幕」

 

 去る17日から平壌体育館で開催されていた標記会議が19日に閉幕したことが報じられた。初日には、金正恩の祝賀書簡が朴奉柱党副委員長によって朗読されたのに続き、金才竜総理が報告を行い、以後、参加者の討論が行われていた。

 また、閉幕に続いて同じ場所で、「昨年穀物生産とジャガイモ農事において高収穫を成し遂げた農場員、幹部、科学者、技術者に対する党及び国家表彰授与集会」が開催され、多数が各種勲章・称号などを授与された。表彰予定者を集めて、総括会議を開催したともいえよう。

 そもそも、この種の集会が「総括会議」と称されるのは異例といえる。会議を優秀者の単なる顕彰に終わらせず、昨年度の実績・経験について、しっかりとした分析・評価を行い、伝えるべきは伝え、正すべきは正す場として活用したいという指導部の強い意向が反映されたものと考えられる。「正面突破戦」提起以降の全般的な「現状見直し」気運の一環ともいえよう。

 まず、昨年度の実績については、先の中央委員会会議における金正恩報告にあったとおり、「不利な気象条件においても、最高収穫年度を突破する前例のない大豊作を収めた」とされ、中でも「390余個の農場、4,000余の作業班、1万5,500余の分組、10万2,900余人の農場員が多収穫単位、多収穫者隊列に入った」ことが明らかにされた。ただし、具体的な生産量などへの言及はなかった。

 確かに昨年は、前半は降雨不足、秋には大型台風と気象条件は不良で、国際機構などでも減産との推計を示していたと記憶している。そのような中で、本当に「過去最高」の生産高を収めたとすれば、特筆すべき成果といえよう(個人的にはやや信じがたい印象がぬぐえないのだが)。

 そして、北朝鮮当局として、そのような成果の主たる要因をいかに見ているかと言えば、「多収穫の鍵は科学農事にある」ということのようで、同会議の最大の狙いはそのような認識の共有・徹底にあったのではないかと考えられる。それをもう少し敷衍すると、「農場の具体的実情に合う科学的な経営戦略を立て、先進営農方法と技術を地帯的特性に合わせて創造的に適用していき、農事の直接担当者である農場員を科学農事の主人としてしっかりと準備させること」などである。あわせて多収穫品種の開発・普及も強調されている。

 以上と表裏一体をなす文脈の下、改善すべき欠陥としても、従前からの習慣にとらわれ、科学技術導入に消極的な「経験主義」的な姿勢などが指摘された。なお、この点については、同会議開幕を報じた18日掲載の評論「科学農事も思想戦だ 昨年の穀物生産において得られた教訓について」でも、農業部門における科学技術に対する意識改革の重要性が強調されている。

 なお、閉幕を報じた20日付け「労働新聞」にも一連の農業関連記事が掲載されたが、そのうち「農業生産と郡党委員会の役割」と堕する評論は、「郡党委員会の最も重要な任務は自分の郡において農事をうまく行うようすることです」との金正恩の言葉を引用した上で、郡党委員会が農業部門に対する指導において果たすべき役割を次のとおり掲げている。

 第一の任務は、「農業勤労者の精神力を発動すること」であり、その基本的方法は「思想事業、政治事業」であるべきとしている。

 第二は、「分組管理制内での甫田担当責任制を正確に実施すること」である。ここで「正確に実施」という趣旨は、「分配における平均主義をはじめとした工業勤労者の生産意欲を低下させうる要素に注意し、それを克服するための対策を綿密に立てる」ことである。したがって、前項で「思想事業」による精神力発動を強調したのと並行して、この項目では、物質的刺激が適正に作用するよう求めていると考えられる。

 第三は、「郡の農業指導機関(協同農場経営委員会など)が自らの役割を責任をもって遂行するよう積極的に後押しすること」である。ここでは、党委員会は、あくまでも「政治的指導、政策的指導」に徹し、その役割を代行することのないよう戒めている。

 最後が「科学農法を堅持して多収穫熱風を強く起こすための組織政治事業」を行うことである。「組織政治事業」というのは、党として、目標・計画・分担などを具体的に定め、随時、点検・総括などを行うことによって、責任を持って推進していくことである。北朝鮮では、何事も、党のこのような裏付けがないと実質的には動かないようである。

 昨年が本当に「過去最高年度」であったか否かはともかく、少なくとも不利な気象条件の中で凶作に陥ることを避けることができたことは間違いないであろう。とすれば、今後の北朝鮮農業の課題は、「苦難の行軍」の再来か否かといった水準ではなく、住民にいかに豊かな食生活を供給できるかという点に移っていくのではないだろうか。そして、それは、同時に分析上の注目点ともなるべき点であろう。