rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

7月25日 「金正恩影武者」説の信ぴょう性

 

 昨日から今日にかけてたまたま見たのだが、脱北者の金興光(音訳)という人が主宰するユーチューブ番組で、「DUAL金正恩」と題する4回連続の特集(あわせて1時間程度)を見た。私の韓国語の理解力が限定的なので誤解している点があるかもしれないが、結論として主張しているのは、4月以来、金正恩は健康不良に陥り、出現が報じられているのは彼の「代役」つまり影武者であり、現在の北朝鮮は既に金与正によって牛耳られている、ということのようである。

 同氏がその根拠として挙げているのは、①金正恩の出現報道回数が今年に入って顕著に減少していること、②最近、北朝鮮高官の大量の人事異動があったこと(「125人+α」と主張)、③報道された金正恩の写真。動画ないし挙動に不審な点があること、④金与正の「談話」を全国で朗読するなど、同人の扱いが極めて異例なものになっていること、などである。

 番組での金氏の説明振りは真摯なもので、根拠もできる限り北朝鮮の報道など事実に即した形で提示しようとの姿勢がうかがえ、傾聴・考慮すべき点があるように感じた。しかし、それら根拠と上記結論の間には、かなりの飛躍も感じらる。つまり、同じ根拠(事実関係)からは、別の結論(仮説)を導き出すことも可能ではないかと考えられるのである。

 以下、同番組の内容についての所見を整理してみたい。まず、根拠としてあげられた事実関係から個別に検討する。

 金正恩の出現回数、とりわけ会議指導などを除く現地指導の機会が減少している事実は、注目されるべきであろう。これまで、そのこと自体は認識しながらも、「コロナのせいか」と漠然と考えていたが、よくよく考えてみると、当初の2~3月にはそこそこ出かけていたにもかかわらず、一定程度収束の傾向に入ったとみられる4月以降むしろ減少していることからすると、それだけでは説明できない気がする。ただ、金氏の説明によると、金正恩の出現報道回数は2013年が最多で以後一貫して低下の傾向にある。金氏は、その最多の年に比較して今年は90%近い減少と主張しているが、むしろ、昨年に比較すべきで、そうだとすると、それほど顕著な現象ではないのないかもしれない。

 次に幹部の大量異動であるが、金氏のいう125人の中には、軍将官級昇格者88人が含まれている。同氏も指摘しているように北朝鮮の軍将官級人事は、太陽節(4月15日)とかの祝日に合わせて行われるのが通例であり、6月の中央軍事委開催に合わせての実施は異例ではある。しかし、だからと言って、それを直ちに(その他の格別の根拠なく)金与正の側近抜擢とみなすのは、余りに早計といわざるをえない。それはそれで背景を検討すべき特異動向ではあるが、むしろ、本ブログで中央軍事委会議開催状況を整理した際に指摘したような、近年における頻繁な軍高官の異動現象の延長線上の動きとみるべきではないだろうか。

 また、それ以外でも比較的短期間に相当数の高官が異動しているのは事実だが、これも、すべて金与正の側近抜擢・対抗勢力排除と結び付けるのは無理があるのではないか。北朝鮮幹部のうち誰が同女の側近であるとか近い関係であるとか、そのようなデータがあるとは考えられない。金氏は、平昌五輪に際し、彼女と一緒に訪韓した人物を「側近」とみなしているようだが、たまたま同行を命じられただけかもしれず、確定的な根拠とは言えないのではないか。仮に、そうであったとしても、そうした関係が指摘できる人物は、ごくわずかでしかないはずで、残りは、この時期に昇格させられたのだから、彼女といい関係なのであろうと推測されるにとどまると考えられる。それをもって彼女の権限強化の根拠とみなすのは、トートロジーといわざるをえない。

 現地指導の際の金正恩の写真・動画及び挙動については、同氏は、同人の顔の部分だけ粒子が粗いとか、放映される動画が従前(6分前後)に比して短い(3分前後)あるいは動画が報じられない、更に、同人の挙動に板につかないところや従前とは異なる点がある、ことなどを指摘し、それらを根拠にそこに現れたのは金正恩本人ではなく、彼の「代役」つまり影武者であると推測している。

 私は、北朝鮮の報道動画はほとんど視聴していないし、報道写真を技術的に解析する術もないので、上記主張の真偽を直接判断することはできないが、結論的には納得しがたいものがある。その理由は、今や複数回の米朝首脳会談などを経て、各国は独自に金正恩の精細な映像を保有しているはずであり、仮に北朝鮮が影武者の映像あるいは写真を報道すれば、韓国の情報機関は北朝鮮に遠慮して言えないとしても、少なくとも米国の情報機関がこれを感知できないはずはないと考えるからである。万一、米国によってその事実を公開されたら、北朝鮮の国内的安定はどうなるであろうか。北朝鮮がそれほどの決定的弱点を「敵」にわざわざ提供するような危険を冒すとは考えられない。仮に金氏の映像等に関する指摘が事実であったとしても、そこから導けるのは、せいぜい、金正恩の起居動作がやや不自由というか問題のあるものになっており、使える映像が少ない、また、顔写真なども余り精密に露出したくない、といった程度の推測にとどまるのではないだろうか。そこから一挙に「影武者」説は飛躍し過ぎと言わざるを得ないと考える。

 最後の、金与正についての扱いの変化は、本ブログでも繰り返し取り扱ってきたところであり、大いに注目されるべき点ではある。しかし、それだからと言って、金氏がいうような形で同人が台頭しているとは考えられない。その最大の根拠は、同女の「談話」発表以降、その存在感をまさに異例の形で際立たせてきた対韓強硬路線が、6月の中央軍事委予備会議で「保留」とされ、その後、立ち消え状態になってしまったことである。仮に彼女が今、北朝鮮を牛耳っているならば、何故、自らの権威を損ないかねないそのような「政策転換」がなされたのか。また、そのような前提では、金正恩の現地指導報道において、何故、同行した彼女の存在が極めて抑制的にしか報じられないのかも説明できない。比較的露出の多かった5月の肥料工場完工式出席時でさえ、彼女の主な活動は、テープカットする金正恩(それも影武者?)にはさみを渡す役であった。近い将来における権力継承を視野に入れているのであれば、もう少し重みのある挙動をするのではないだろうか。

 結論的に、金氏の主張する「金正恩影武者」説も「金与正=影の執権者」説も、根拠不十分というよりは、事実と矛盾する部分が多い謬説と考える。

 では、そこで指摘された事実は、いかに説明されるべきか。金氏は、多くの特異点を一つのストーリーの中で説明しようとして、結局、上記のような謬説に陥ったと思われる。様々な背景事情が並行して存在すると考えれば、もう少し無理のない説明ができるのではないだろうか。以下、当面思いつく仮説を述べてみたい。

 まず、金正恩の現地指導回数の減少及びそれを報じる動画の減少などについては、金正恩の健康上の問題が存在する可能性を指摘することは許されるかもしれない。ただし、会議指導、現地指導などをそれなりにこなせる程度の健康状態にあることは否定できず、「補佐役」はともかく、直ちに「後継者」を必要とするほど深刻な状況にあるとは考えられない。

 幹部の大量更迭については、本ブログでかねて指摘しているような、金正恩の幹部の働きぶり(形式主義・守旧性、権柄的態度、不正腐敗など)に対する不満が昂じているためと考えることもできよう。いずれにせよ、それは、例えば2月に党組織指導部長を解任された李萬建がその後も政治局委員としては地位を維持できていることなどからみて、金氏がいうような、いわゆる権力闘争的なものとは考え難い。また、軍の将官大量昇格については、軍人に対する人心収攬的な側面もあるのではないだろうか。

 最後に、金与正についての扱いの変化(格上げ)については、前述のような金正恩の既存幹部に対する強い不満(そこには、最近の論調等でも示されるような「党(=金正恩)の意思を反映していない、機械的に執行して、むしろ党の権威を損ねている」との見方が含まれよう)の延長線上で、自分の思いをよく理解してくれる(と認識する)同女に対する金正恩の期待が働いているとも考えられる。ただ、同女の扱いについては、本ブログでも指摘しているとおり、相当慎重・抑制的に進められており、そこには、無理な格上げで反発を招かないようにとの配慮も存在するのではないだろうか。

 以上、長々と金興光氏の番組についての所見を披瀝してきたが、最後に断っておきたいのは、同氏を非難しようとの意図はまったくなく、むしろ、そこに傾聴すべき点が含まれているとの考えから、それを軸として、自分の所見を整理する契機とさせていただいたということである。同氏には、ますますのご健闘を期待したい。