rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

3月2日 「党中央の思想と意志のとおり人民大衆第一主義を徹底して具現し党事業に新たな転換をもたらそう」

 

 本日の「労働新聞」は、先般の党中央委政治局拡大会議の内容、とりわけ「官僚主義」批判などの動きに関連して、標記の共通タイトルの下、様々な記事を掲載している。

 そのうち考え方の基調を示すのは、論説「我が党の人民的性格をはっきりと誇示した歴史的会議」である。拡大会議での指摘事項などを繰り返した上で、それを踏まえて「人民を無視したり人民の利益を侵害したりすることは、すなわち革命に対する放棄であり、人民に対する背信である」と主張するとともに、今次事案について、「我々の内部的力を弱化させる障害物を除去し、より高く飛躍するための正面突破戦が力強く繰り広げられている時期に現れた(これらの)欠陥は、絶対に許容することのできない危険な行為である」と厳しく批判している。そして、そうした「官僚主義」の危険性について、「人民の服務者たるべき幹部が権柄と官僚主義を振り回し自己利益だけを追求するなら、党の本態が曇るのはもちろん革命まで滅ぼしてしまうことになる。これは、世界社会主義運動歴史が残した深刻な教訓である」ことを改めて強調している。

 なお、同論説は、拡大会議において、当面のコロナウイルス対策に万全を期しつつも、従前予定されていた経済建設課題も「違えることなく遂行」するとの方針が示されたことを明らかにしている。そして、そのような方針について、「ウイルス伝播というとてつもない大災厄を防止するために国家的な力を集中しつつも、人民生活向上のための事業を中断なく推し進めるということは、誰にでも容易に決心し実践に移せることではない。これは、人民の運命に責任を持ち見守る我が党と国家だけが実施することのできる大英断である」と自賛している。

 次は、「敬愛する最高領導者金正恩同志の不朽の古典的労作を紐解いて 朝鮮労働党の存在方式」と題する評論である。これは、2015年10月10日、党創建70周年に際しての軍事パレードにおいて、金正恩が行った演説「人民大衆に対する滅私服務は朝鮮労働党の存在方式であり、不敗の力の源泉である」の内容を改めて紹介するもので、「(金正恩は)演説において、偉大な金日成金正日主義は本質において人民大衆第一主義であり、党の存在方式は人民のために服務することであるとされた」ことなどを強調している。「人民大衆第一主義」が金正恩のかねての主張であることを想起させるためのものといえよう。

 更に、「党中央委員会政治局拡大会議のニュースに接した党幹部たちの反響」として、各級党組織幹部5人からの投稿記事が掲載されている。

 最初は、「党の崇高な人民観を一寸の違いもなく」と題する咸鏡北道党委員長の記事である。同道内でも過去に「極度に官僚化した現象」などが少なからず現れたとして、その様相につき、「人々の心情と態度、時代変化に無頓着で、既存観念や経験に執着しつつ事業を一方的に押し付ける式」「人民の前で虚心になれず、教養者の風を吹かせて権柄と官僚主義を振り回す」などの例を挙げている。その上で、「拡大会議の思想と真髄を骨に刻み・・・人民の真の従僕になることに優先的な力を注ぐ」との決意を示している。

 このほかの「反響」のタイトルと投稿者の地位は、「すべての事業を徹頭徹尾親人民的に」(朔州郡党委員長)、「労働階級のために献身奮闘する」(北倉火力発電連合企業所党委員長)、「滅私服務を言葉でではなく、実践で」(首都旅客運輸局党委員長)、「人民の評価から自分の事業を総括して」元山靴工場初級党委員長)となっている。

 以上の報道から、拡大会議における「官僚主義」批判及び組織指導部長ら解任の動きについて、当面、次のような点を指摘できよう。

 第一に、事案の実相は何か、批判された者たちは、何をしたのかについてである。咸鏡北道党委員長が、拡大会議で用いられたのと同じ「極度に官僚化した現象」として例示した同道内の事例は、実は、従前から繰り返し批判されてきた幹部の守旧的執務態度の域を大きく超えるものではない。これから推測するに、組織指導部長らの「罪状」も、実は、従前の幹部の行動の枠を大きく逸脱したものではなかった可能性がある。

 しかし、時あたかも、そういった態度を改めることを主眼とした「正面突破戦」の最中であったために、金正恩の逆鱗に触れたのではないだろうか(あるいは、更に、金予正との指導権争いなども作用していた可能性もあるが、それは今後の推移に見ないと判断しがたい)。

 第二に、北朝鮮指導部(金正恩)は、この事案を契機として、かねて主張してきた幹部の執務態度の改善ないし意識改革を一層強めようとしているということである。換言すると、今回の動きには「一罰百戒」の狙いが込められているということである。更に言えば、それら現象に厳しく対処する金正恩の「人民大衆第一主義」姿勢をアピールする狙いもあるのであろう。

 第三は、会議報道から2日後に関連の論説、評論のみならず各級幹部の投稿記事まで一斉に掲載されたということは、そのような批判キャンペーンが前もって周到に準備されていたことをうかがわせる。金正恩としては、高位幹部らの不祥事案を契機に「災い転じて福となす」べく努めているのであろう。

 これらの点を総合すると、今次事案及びその後の推移は、相当程度、金正恩のコントロールの下で展開されている、換言すると、特段の混乱などを生起するには至っていない、と考えることが出来よう。