rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

4月1日 社説「経済事業において国家的利益を優先視する気風を徹底して確立しよう」

 

 かねて繰り返されているテーマであるので、全般的紹介は省き、この問題が改めて社説で取り上げられているという事実(それだけ重要問題となっていることの反映であろう)を指摘した上で、注目される(疑問に感じる)部分だけ紹介したい。

 それは、「すべての単位において国家計画を違えることのできない法的課題とみなし無条件に執行する」ことを求める(この要求自体は当然のものであるが)中での次のような主張である。

 「人民経済遂行において隘路が提起されると、国境の外を仰ぎ見ながら狭小な当面利益を追求するのではなく、国内の生産単位、研究単位、開発単位を先に訪ね、そことの緊密な協同によって不足するすべてのものを解決しなければならない。自分の単位の収益性だけを重視して部門間、工場、企業所間の有機的連携を破壊し、国家的、全社会的利害を侵害する現象を徹底して克服しなければならない」

 まず疑問に感じるのは、前述のようないわば「輸入病」批判ないし「自力更生」志向的な主張と「国家計画」遂行の要求がどうつながるのかという点である。①「計画」遂行のためであっても安易に国外に依存してはならないという趣旨なのか、あるいは逆に、②そういった国外依存は「計画」からの逸脱であり国内に依拠した「有機的連携」の実現が「計画」に組み込まれているのか、判然としない。文面からすると、国内との「有機的連携」は、そもそも計画されているものというよりは、工夫して実現せよという趣旨に読めるので、②ではないであろう。

 しかし、①とすると、そもそも、個別の企業所などが勝手に国外との取引を行って「隘路」を打開するなどということができるのだろうか。それは一体、どのような形態の取引なのであろうか。後段の文からすると、例えば、輸出競争力を持つ製品を生産する企業所が、「国家計画」上では国内に供給すべきとされている製品を勝手に国外に輸出して独自に外貨を稼ぎ、それで自企業に必要な物資を輸入する、といった状況を指しているのであろうか。個別の企業所にそういった裁量権が与えられているのであろうか。

 いずれにせよ、そういった「本位主義」を是正するためには、この社説の説くような精神論(「すべての問題を国家的立場から見、対する観点」)だけでは不十分であり、各単位が「自己の収益性」を追求すれば、それが自ずと「国家的利益」の実現につながるような制度設計・価格設定などが不可欠なのではないだろうか。