rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

2022年4月7日 金正恩ウクライナ事態から得るべき本当の教訓

 

 表記に関しては、巷間、かつてウクライナが米英ロ3国の安全保障約束を信じて旧ソ連時代から領域内に配備されていた核兵器を放棄(よりによってロシアに移転)したことを想起しつつ、そうした国際約束が守られなかったことに着目して、金正恩は「やはり核兵器を放棄してはならない」との思いを強くしているであろうとの推測が多く語られている。実は、私自身も、ある論稿でそのような見方を公にしたことがある。

  そうした見方は、事実としては、おそらく間違っていないと今でも考えているが、それはそれとして、ウクライナ各地の惨状や最近の「虐殺」報道などに接し、金正恩ウクライナ事態から本当に学ぶべき「教訓」は、それとは別にあるのではないかとの考えに至った。

 国際法的あるは人道的な観点から見ても、今回の事態の責任がプーチンにあるのは論をまたないところであろうが、ウクライナ指導部の自国民に対する政治責任、すなわち、こうした事態(ロシアの侵攻)を抑止できず国民に多大な被害を蒙らせたという結果責任は、それとは別に論じられるべきであろう。そして、その原因を考えると、ウクライナがロシアに対する安全保障の確保を求めてNATO加入に固執したことが、逆にロシア(プーチン)の不安感(それが過剰なものであったにせよ)を刺激してしまい、それを予防するための行動に踏み切らせたと考えることができよう。ロシアにとって、旧ソ連の一部であるウクライナNATO加入(それは、同国内への他のNATO軍部隊駐留の可能性を意味する)は、許容できない「レッドライン」であったのであろう。

 もちろん、ウクライナNATO加入を求めたこと自体は、ロシアのクリミア編入や東部の「独立」支援などの背景もあり、主権国家としては何ら制約されるいわれのない正当な権利であり、第3者としてそれを非難することはできないが、結果論的に言えば、他者の懸念の深刻さを無視して一層の安全保障を求めた余り、自らの安全保障を損なってしまったという事実は否定できないところである。

 ここで、冷戦時代のフィンランドを想起すると、対外政策においてはソ連を刺激しないよう、国外からの「属国視」の屈辱に耐えつつ隠忍自重することによって、辛うじて安全を保全し、国内的には自由民主義体制を堅持できていた。ソ連との国力格差などの現実を踏まえた一つの賢明な選択ではなかったのではないだろうか。

 仮に、ウクライナが、こうした事例にならって、もう少し自制的に行動していれば、東部の分離独立の動きは続いたにせよ、今回のようなし烈な武力攻撃を受ける事態には至らなかった可能性が高いと思われる。

 以上のウクライナの「教訓」を北朝鮮に適用して言えることは、現在、同国が核・ミサイル開発を強力に推進しているのは、決して積極的な膨張(対韓侵攻)のためではなく、あくまでも外部勢力の敵対行動を抑止するためのものである、との北朝鮮の主張を全面的に信じるとしても(私は、信じてもよいと思っている)、そうした自国の安全保障を一層高めるための行動が、結果的に、他者の不安感(仮に、それが根拠なき猜疑心であるにせよ)を刺激することによって、自らの安全を損なう結果を招く可能性があるということである。

 ここで「他者の不安感」というのは、端的に言えば、米国内に根強い、「北朝鮮が米本土に到達する核ミサイルを持つことは、米国の安全保障上許容できない」との観念である。私は、客観的に言えば、こうした観念は、一方的なものであり、かつ誤っていると思うが、現実に米国内にそう信じている人が少なから存在し、また、そうした考え方が現実の政策に相当な影響を与える可能性があることも、また否定できないと考える。

 賢明なる指導者金正恩同志が、どうかこの「教訓」をしっかり認識してくれることを願ってやまない。