rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

2022年9月14日 ウクライナ事態の「教訓」と朝鮮半島問題への含意

 

 ロシアによるウクライナ侵攻開始以来、半年余りが経過し、その展望は定かでないものの、北朝鮮ウオッチャーとして、そこに様々な「教訓」を読み取ることができたように思われる。雑駁としたものであるが、その一端を披歴したい。

1 「安全保障のジレンマ」

 ここで、「安全保障のジレンマ」とは、自らの安全度を高めるための軍事力構築などの努力が相手側を刺激し対抗措置を招くなどして、当初の意に反して自国の安全度を低下させてしまう結果に至る現象のことである。これは、ウクライナ、ロシアの双方に言えると考える。

 まず、ウクライナについては、ロシアの脅威(既にクリミア強奪などの経緯があるのであるから、それを感じるのは、当然至極のことである)に備えるため、NATO加盟を実現すべく努力したことが、ロシア(プーチン)の反発ないし脅威感を刺激し、結果的に武力侵攻を招いてしまった。

 次に、ロシアについても、ウクライナへのNATO拡大(その軍事力配備)により、自国の安全保障環境が脆弱化することを懸念し、その可能性を完全に払拭するため、ウクライナの傀儡国化(あるいは自国編入?)を目指したが、結果は、周知のとおりである。

 今後の展開によっては(現実的に想定しうるロシアにとってのベスト・シナリオが実現すれば)、同国内の占領地を現状よりも拡大した上で傀儡国化ないし自国に編入することは可能かもしれないが、仮にそうなったとしても、①残りのウクライナ全国を永遠の反露国にしてしまった、②これまで中立政策をとってきたフィンランドスウェーデンNATO加盟に追いやってしまった、③これまで内部対立が深刻であったNATO諸国(特に米国と欧州)間の団結を強化してしまった、など国際環境の大幅な悪化は否定しがたい。また、強大を誇っていた軍事力についても、武力侵攻の過程で既に装備・兵員とも損耗が著しく、その回復には長期を要するであろう。経済制裁(例えば半導体供給の制約など)の影響により新鋭兵器の生産などは困難化するのではないだろうか。

 冷戦時代には、ハンガリーのブタペスト、チェコプラハ、ベルリンなどがソ連の西側との闘争の「最前線」であったことを想起すれば、ロシアにとって、モスクワの真南にあたるウクライナにまでNATOの軍事力が配備されるということの不安感、脅威感は十分理解できるが、それにせよ、今次侵攻がロシアにもたらした損失は、前述のとおり、安全保障の次元だけでも、余りにも大きいと言わざるを得ない(それ以外にも、国家イメージの低下とかエリートの国外流出とか枚挙にいとまなし)。

 余談であるが、今次侵攻の直前、テレビの報道番組で、慶応義塾大学の某教授がロシアによる侵攻の有無の予測を求められて、可能性は低い旨答え、その理由として、侵攻がロシアにとって得になるとは考えられないから、というようなことを述べていた記憶がある。結果としては誤った予測となり、専門家としての面目を失墜した形になってしまった(その後、しばらくテレビに出なかったようだが、そのためか?)。私は、同教授の分析は、客観的な国家利益の観点からは間違っていなかったと思い、同情を禁じ得ない。ただ、間違えたとすれば、それを評価するプーチン(ないしロシアという国家)の判断力・意思決定の妥当性を余りに合理的なものと考え過ぎたということであろう。

 

2 核兵器の効用

  核兵器の効用に関して、ロシアのウクライナ侵攻に際し、最初に広く指摘されたことは、ウクライナ旧ソ連時代から所在していた核兵器を放棄せず、そのまま保有し続けていたならば、その抑止力により、このような侵攻を受けることはなかったであろう、との感想である。もちろん、これは「歴史的if」に基づく推論であって、実際にどうなっていたかは、証明しようがない事柄ではある。しかし、多くの人が、そのように感じたというのは、まぎれもない事実であり、核兵器の持つ「抑止力」がいわば「定説」になっていることを示しているといえる。

 また、そうした核兵器の持つ抑止力は、ロシアが侵攻当初に核使用の可能性を誇示することによって、同事態に対する米国をはじめとしたNATOの軍事的介入を阻止することに努め、現在に至るまで、それが奏功していることによっても、より実証的に示されている。もちろん、周知のとおり、NATO諸国は、ウクライナに対し武器・弾薬、軍事情報、軍事訓練の供与などの形で支援に努めているが、そうは言っても、ロシアを過剰に刺激することの懸念により、例えば、供与武器の質・量などを制限していることは否定できない。

 「核兵器の効用」に関し、前述のような抑止力(相手に何かをさせない効果)の側面については、既に広く指摘されているところであるが、一方、余り語られない側面もある。それは、核兵器の威嚇によって、相手に何かをさせる効果についてである。仮に、核兵器保有することによって、そうした力を行使することができるのであれば、ロシアは、なぜ、それを行使しない(あるいはできない)のかということである。そもそも、ロシアが核兵器の威嚇(及び他の外交手段等の併用)によって、ウクライナに対し、NATO加盟政策の放棄であるとか、一部領土(ロシア系住民居住地域など)の分離・独立の承認などを強要することができたのであれば、あえて多大なコストを伴う軍事侵攻を行う必要もなかったはずである。

 そのことは、結局のところ、世界最大の軍事力を持つ米国の行動(ウクライナへの直接的軍事介入)を抑止できたロシアの核戦力をもってしても、米国に比すればはるかに弱小な軍事力しか持たず、米国の「核の傘」も掛けられていないウクライナの政策転換は強要できなかった、ということを意味する。

 つまり、言いたいことは、核兵器は、「抑止」には有効であるが、「強要」の効果は期待できないということである。それは、例えば、ベトナム戦争において米国が北ベトナムに対して南ベトナムへの介入の中断を強要できなかったことなどを通じてかねて指摘されてきた点でもあるが、ウクライナ事態を通じて改めて浮き彫りにされたといえる。

 

3 戦略的叡智の欠如

 ウクライナナ事態の結果を大国間関係の視点で見ると、最大の「敗者」は、ロシアであろう。今後のウクライナでの「軍事作戦」の結果にかかわらず、その軍事力はもとより、経済力、外交力などを相当毀損することは避けがたい。

 その点、米国は、自らは表に立たずウクライナを盾にしながら国内武器産業を活性化させつつ、ロシアの軍事力を消耗させることができており、ある意味、うまく立ち回っているようにみえる。「西側」の盟主としても求心力回復の効果もあるかもしれない。

 ただし、大国間関係の視点で最大の勝者が誰かと言えば、「漁夫の利」を得た中国ではないだろうか。ロシアは中国傾斜を強めざるを得ず、いわば中国のジュニア・パートナーとなりつつあるようにみえる。また、軍事力をはじめ米国の力量がウクライナに注がれていることは、米中対立の構図の中では、結果として中国に有利にはたらくことになる。ウクライナ事態が長期化した場合、その鎮静後、程度の差はあれ共に国力を損耗した米ロに対し、中国だけが無傷で残るという状況も否定できない(第1次世界大戦後、欧州各国が勝者・敗者共に損耗していたのに対して、米国の地位が相対的に浮上した故事が想起される)。

 こうした事態を招いた遠因は、米国(バイデン政権)の戦略的叡智の欠如にあると考える。そもそもの米国の大戦略に立ち戻ると、「主敵」は中国であったはずである。そうした視点から見ると、現在のようにロシアとの関係を敵対的なものとし、結果として、ロシアの対中依存を深化させてしまったことは、果たして賢明であったのか、大いに疑問である。対中戦略を有利に展開するためには、ロシアを「味方」にはできないまでも、中国との間には一定の距離を置くように誘導してしかるべきであったといわざるをえない。

 米国は、インテリジェンスの成果により、ロシアのウクライナ侵攻を予見していたようである。そして、軍事侵攻が起きてしまえば、それを是認できない以上、ロシアとの敵対関係に陥らざるを得ないことは予見できていたはずである。そうであれば、侵攻前の時点で、ロシアに対する経済制裁などの「警告」を行うにとどまらず、むしろ、ウクライナにロシアとの関係調整(NATO加盟方針の見直しなど)に乗り出すよう水面下で強力に働きかけるなど、武力侵攻を未然に防止するために懸命の努力をすべきであったのではないだろうか(ウクライナとすれば、米国から「言うことを聞かないなら、何があっても知らないよ」といわれれば聞き入れるしかなかったであろう)。

 これは、単なる「後知恵」ではなく、バイデン政権に十分な戦略的叡智があれば、実行可能なシナリオであったと考えられる。現に、典型的な権力政治論者であるキッシンジャーなどは、侵攻開始後ではあるが、ロシアを敵視して中国と一体化させることのマイナスを主張している(ウクライナから猛反発を受けているが)。それができなかった(あるいはしなかった)のは、おそらく、外交方針の決定は主権国家の権利であり、それを大国の圧力で変えさせるなどというのは許しがたいという、民主党が伝統的に持つ国際法尊重の(いわゆるウィルソン主義的)発想にとらわれ過ぎたためではないだろうか。

 

4 朝鮮半島へのインプリケーション

 朝鮮半島情勢を考える上で、前述の「教訓」が持つインプリケーションを考えてみたい。

 まず、「安全保障のジレンマ」については、今、まさに北朝鮮と韓国(及び米国、日本)との関係が同じような状況に陥りつつあるように思われる(ウクライナのように武力行使という破滅的段階にまでは至っていないのが不幸中の幸いであるが)。奇しくも、金正恩自身が最近の最高人民会議における「施政演説」において、韓国の軍事増強をとらえて自国の軍事力増強に「名分」を与えるものと称している。そういう見方ができる以上、自らの核開発が韓国等の軍事態勢強化を促進していることにも無自覚ではないと思われるが、それでも、敢えて「核武力開発」の絶対堅持を呼号せざるを得ないところに「ジレンマ」の「ジレンマ」たる所以があるのであろう。

 こうした状況に対し、私自身、直ちに良案を提示できるわけではないが、世の安全保障専門家と称する方々には、単に北朝鮮の「脅威」を所与のものとした上での「対抗策」(どんなミサイルが必要とか)に関する方法論・技術論にとどまらず(その必要性を否定するものではないが)、そうしたジレンマから抜け出す方策を是非共、検討・論議いただきたいと願うものである。

 次に、「核兵器の効用」については、北朝鮮の持つ核兵器についても当然、、同様のことが言えると考えるべきであろう。巷間では、北朝鮮核兵器増強を放置するなら、それが周辺に及ぼす脅威・リスクは実におそるべきものになるとの見方がしばしば語られている。その背景には、「核強国」になった北朝鮮が、その威力を用いて無理無法なふるまいに出るのではとのおそれがあろう。

 しかし、前述の「教訓」に基づくならば、北朝鮮核兵器をいかに増強したとしても、それによってできることは、自国に対する攻撃の抑止に限られるのであって(もちろん、実際の戦争が勃発すれば、実戦使用もありうるであろうが)、その威嚇によって、韓国や日本に何かを強要するということは事実上不可能と考えるのが妥当であろう。しかも、韓国、日本は、米国の「核の傘」に下にあるのである。こちらから北朝鮮に対して侵略・介入を行う意思がないことを前提とするなら、北朝鮮核兵器をおそれるべき理由は、希薄といわざるをえない。

 最後の「戦略的叡智」の持つインプリケーションは、対北朝鮮政策においても、やはり対中戦略という視点を欠くべきではないということである。前述のように実際上はさほどの脅威でもない「核保有」を理由に圧迫を続け、結果的に対中傾斜(そして最近は対ロシア傾斜)に追いやる政策の妥当性については、改めて検討の余地があろう。本来的・伝統的には、北朝鮮の対中姿勢は、従属的というよりは自立志向的である。中国の大国主義的姿勢が顕著化しつつある中で、北朝鮮のそうした姿勢を逆に活用する戦略を講じる必要がいよいよ迫ってきているのではないだろうか。