rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

10月11日 党創建75周年慶祝行事まとめ

 

 標記について、まず概要を記した上で、とりあえずのコメントを記しておきたい。

 10月10日午前零時から金日成広場において、金正恩以下党・政府幹部、軍事部門幹部及び引退した老幹部らの出席の下、党創建75周年慶祝閲兵式が挙行された。そこでは、まず金正恩が演説を行い、続いて人民軍はじめ各武装部門が徒歩部隊、車両部隊、航空機によるパレードを行った。その模様は、10日付けの「労働新聞」に掲載された。昨日の本ブログで指摘した同紙の更新遅延は、そのためであったと考えられる。なお、同日の同紙は、「朝鮮労働党は、人民大衆第一主義思想と政治で勝利だけを輝かせていくであろう」と題する社説を掲載した。また、閲兵式の模様は、朝鮮中央放送でも11日になって録画編集したものが放映されたが、放送時間は2時間を超えるものであった。

 以下、11日付けの「労働新聞」によると、10日には、同じく金日成広場で、党創建75周年慶祝大会、同群衆示威(市民パレード)、同青年前衛のたいまつ行進が、また市内で同祝砲夜会(花火大会)が、それぞれ実施されたという。このうち、金日成広場での行事の出席者としては、閲兵式参加者のうち、金正恩、趙勇元、金与正を除く全員の名前があげられているので、閲兵式終了後に続けて実施されたものと考えられる。ただし、慶祝大会の写真だけは、青空の下でのものとなっているので、先に祝砲夜会、群衆示威、たいまつ行進がおこなわれ、夜明け後に慶祝大会が開催されたのかもしれない。なお、同大会では、金正恩あての祝賀文採択、崔竜海による報告などが行われた。

 これら一連の行事(特に閲兵式)を見てのとりあえずの注目点は、次のとおりである。

 第一は、金正恩が演説において、「人民」及び人民軍将兵に対する謝意を繰り返し表明したことである。その様子は、記事では「激情にあふれた演説」と報じられたが、録画で見るに、声涙ともに下るといって過言ではなく、同演説を涙を流して聞く軍人、観衆の姿も多く映し出された。彼は、党創建75周年記念日を迎えた心の中は、「(人民に対する)『ありがとうございます』、この一言だけです」、「我が党が(これまでの75年間を)勝利と栄光で飾ることができた根本秘訣は、ほかでもない我が人民が党を真心で信じてくれ、従い、我が党の偉業を守ってくれたためです」などとする一方、自分自身については、「(そのような人民の信頼に)報いることができず本当に面目がありません」「いまだ(自分の)努力と精誠が不足し我が人民が生活の困難から抜け出せないでいます」などと反省の意を表した。そして、演説の最後を「偉大な我が人民万歳」という言葉結んでいる。ここは、普通であれば、「偉大な我が朝鮮労働党万歳」とすべきところであり、「人民」重視の心情を端的に示したものといえよう。

 もちろん、このような姿を演出と評することも可能であろうが、それにせよ、これだけの演出ないし演技ができるのは、政治家として相当高く評価されるべきといわざるをえない。明日以降、同演説を受けての国内各層の「感動」ぶりを伝える記事が紙面を埋めるであろうことは想像するに余りある。その感動を「80日戦闘」に発揮しようという呼びかけになるのであろう。

 第二は、やはり新型の大陸間弾道弾を登場させたことであろう。録画でも、数ある閲兵部隊・装備のうちで、それに最も脚光を浴びせる演出になっていた。また、金正恩の演説においても、「いかなる軍事的脅威も十分に統制管理することができる抑制力を備えました」とするだけでなく、それらが「誰かに向けた」ものではないことを強調しつつも、「自衛的正当防衛手段としての戦争抑制力を引き続き強化していきます」との意向を示している。

 第三は、軍事パレードにおいて、前述の兵器以外にも、軍服・ヘルメットから小火器、ロケット砲、装甲車、戦車に至るまで、各種装備の更新が進んでいることである。もちろん、ここにも近代化を誇示しようとの演出が作用しているのであろうが、それにせよ、金正恩が演説で述べているように、「党創建70周年」の時の軍事パレードと比較すると現代化の速度は思いのほかといわざるをえないであろう。

 なお、金正恩が演説で、対韓関係に関し「愛する南の同胞たちにも温かい心」を送るとした上で、「北と南がまた両手を握り合う日が来ることを祈念します」と述べたことについて、韓国の文政権は大喜びしているかもしれないが、対韓姿勢に直ちに何かの変化があるとは考えにくい。おそらくは、次回党大会くらいを契機に新たな展開を図るための布石といったところではないだろうか。

 最後に、真夜中の閲兵式実施の狙いにも関心がもたれるが、よく分からない。強いて言えば、夜間の方が、観衆により強い心理的効果を期待できると考えたかのかもしれない。衛星写真などを撮られるのを防ぐためとの見方もあるようだが、それでどれだけ防衛の実をあげられるのか、そのために重要行事を変更するのか、やや納得しがたいところがある。