rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

2021年2月15日 「単位特殊化」問題をめぐって

 

 標記の問題について、まず、これまでの経緯を改めて振り返ってみたい。

 1月の党大会においては、金正恩の「結論」の中で、経済運営におけるの国家の統一的指導の強化・復元という文脈の中で、「党大会以降にも特殊性を云々して国家の統一的指導に障害を与える現象に対しては、いかなる単位であるかを問わず、強い制裁措置をとならければなりません」との警告を行ったことが報じられている。

 一方、「中央委員会事業総括報告」に関する報道の中には、それに関する直接的言及は認められないが、「結論」で突然、このような言及を行うというのは不自然であり、「報告」の中でも何某かの指摘がなされていた可能性は否定できない。

 そして、今次の中央委員会全員会議においては、金正恩の第1議題に関する「報告」の中で、今年度課題を遂行するための重要課題として、国家経済指導機関の機能強化や人材育成などと並んで、この問題が正面から取り上げられた(昨日の本ブログで紹介した社説は、その部分をなぞったものといえる)。やや長くなるが、当該部分に関する報道は、次のとおりである。

 「総秘書同志は、報告において、党大会決定貫徹のための初年度事業を展開しつつ、全党的、全国家的、全社会的に単位特殊化と本位主義に終止符を打つための闘争を強度高く展開することについて重要に言及された。

 報告は、権力乱用と官僚主義、不正腐敗が個別的な人々が犯す反党的、反人民的行為であるなら、単位特殊化と本位主義は、部門と団体の帽子を被って行うより厳重な反党的、反国家的、反人民的行為であり、我が党の人民大衆第一主義政治を実現し主体的力、内的動力を固めていく上で第一の障害となると烙印を押した。

 報告は、国家と人民の利益を侵害し、党の決定指示執行を怠る単位特殊化と本位主義現象をこれ以上、そのままにしていくことはできず、党権、法権、軍権を発動して断固剔抉しなければならないということについて特別に言明した。

 報告では、このたびの全員会議を契機として単位特殊化と本位主義を権力乱用と官僚主義、不正腐敗行為と異なることのない革命の仇敵、国家の敵として厳重にとらえ、全面的な戦争を展開することとした中央委員会の決心が表明され、単位特殊化と本位主義を一掃するための戦争においてすべての党組織と政治機関、国家機関とすべての人民が主体になることについての問題が強調された。」

 そして、同「報告」を受けて行われた「討論」の中で、中央検察所長우상철は、「内閣の主導的役割に制動をかける一切の行為を徹底して制御、制圧」するとの文脈で、「特に、特殊の壁を盾にして法の統制の外で社会経済管理秩序に乱暴に違反する単位に対する法的監視を攻撃的に、連続的に強く行う」との決意を披歴したことが報じられている(他の3人の討論者の内容に関する報道の中には、この問題に直接関連する表現は認められない)。

 以上の報道内容を踏まえて、この問題の意味を検討してみたい。まず、「単位特殊化」とは何を意味するのか。韓国報道などの解説によると、軍・党・情報機関などの傘下企業がそれぞれの「特殊性」を口実に内閣以下の一般行政機関等の指導・統制に従わず、いわば特権的・治外法権的に営利活動を行っている現象のこととする。このような見方は、前掲の中央検察所長の「討論」内容とも符合するものであり、金正恩の問題意識も、概ね、そのような現象を念頭に置いたものと考えて間違いないであろう。

 しかし、不思議なのは、仮にそのような現象を問題視しているのであれば、何故、その上部機関である軍・党・情報機関(及びその責任者)の責任を直接追求しないのかということである。金正恩が執権当初から総参謀長、人民武力部長らを次々と更迭してきた経緯を考えれば、軍の圧力や反発などを懸念してそれができないとは考え難い。

 更に、驚かされるのは、今次会議で唯一明らかになった問責的人事異動において、更迭された党秘書兼経済部長の後釜に第2経済委員長であった呉洙容が任命されたことである。いうまでもなく第2経済委員会は、軍需工業部門を統括する組織であり、おそらくはそうした「特殊単位」を多く傘下に抱えていると考えられる。前述のような方針が示される中で、相当期間その責任者を務めていた人物が降格されるどころか、事実上昇格に近い形で異動するというのは、どういうことであろうか。ちなみに、今次会議を報じたニュース映像を見ると、会議終了時に拍手で金正恩を見送る呉洙容は、感激の余り顔をゆがめているようにも見えた。憶測を逞しくすれば、同人は、前非を悔いて、特殊化一層に尽力する機会を与えるということで、その地位が与えられたのかもしれない。そうであれば、その寛大な人事に感激(感涙?)するのも理解できる。

 これは、突飛な想像のように聞こえるかもしれないが、先の党大会の際の人事でも、昨年2月の中央委員会全員会議で公開的に「官僚主義」を批判されて党副委員長を解任された朴太徳が、官僚主義対策などを主な狙いに新設された党規律調査部の部長(及び同じ狙いで改編された中央検査委員会の副委員長)に任命された例がある。何とも皮肉な人事と思うが、そういう者を充てれば、内情をよく知っているだけに取り締まりも効果的にできるだろうし、本人も罪滅ぼしのためもあり、手を抜かずに人一倍尽力するだろうとの思惑があるのではないだろうか。それが金正恩流人事操縦術と考えれば、呉洙容の党経済部長任命は、「不可思議」なものではないのかもしれない。

 話が横道にそれたが、「単位特殊化」は、批判だけして済む問題ではないと考える。それは、もちろん、不正腐敗などの温床という側面もあったであろうが、同時に、それぞれの機関が独自の任務をまっとうする上で必要不可欠な働きもしていたと考えられる。例えば、軍需工業部門は、それら特殊機関が稼いだ外貨で新型兵器の開発などを促進できたであろうし、軍が独力で民生部門の建設工事などを遂行できているのも、おそらくは、そういった「財源」があってのことであろう。党の傘下企業にしても、金正恩一族をはじめとした党高官の特権的生活を支えている部分もあり、また、金正恩が現地指導などの際に政策的な特別支援を約束する原資を担っている部分もあろう。そういった「光」の部分は顕彰し、あるいは更なる貢献を求めつつ、それを支える「影」の部分を一掃するというのは、現実には不可能なことである。「国家の敵」と決めつけても、ある意味、自分の足元を掘り崩すおそれのある「戦争」をいかに遂行していくのか、注目されるところである。