rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

10月13日 北朝鮮は、本当に「非核化」に応じる気があるのか?

 標記の点は、多くの人が疑問に思っていることと思います。

 私は、結論として、「絶対にない」と決めつけるだけの根拠は存在しないと考えています(だからと言って、「絶対に応じる」とはもちろん考えていませんが)。

 以下は、「何故、『絶対にない』とはきめつけられないのか」ということを整理したものです。いまだ推敲不十分な草稿ですが、多くの方からご批判を仰ぎたいと思い公開します。なお、分量の関係で、2回に分けて掲載します。

 

北朝鮮にとっての核戦力の効用(草稿)~その1

 

1 問題の所在

 北朝鮮の「非核化」をめぐっては、かねて米朝間で複雑な交渉が続けられている。しかし、巷間では、北朝鮮はそもそも「非核化」を受けれる意思を有していないのではないか、との懐疑論が根強い。そのような懐疑論の最大の論拠は、おそらく次のような考えであろう。

 

総合的な軍事力において米韓にはるかに劣る北朝鮮にとって、米本土を打撃し得る核戦力の保有は、その報復的使用の可能性によって、米国・韓国などからの侵略を「抑止」し得る体制保全のための最有力かつ唯一の方途である。

仮に、米国などからの「体制保証」とかの「口約束」や「国交樹立」などの外交文書を見返りとして、それを放棄することは、体制の安全を相手にゆだねることになり、それは、イラクリビアウクライナなど「大国」が約束をほごにした歴史の教訓からもしても、極めて危険な選択である。

北朝鮮指導部が体制の安全を最優先する立場で、合理的に思考するとするなら、そのような危険な選択をするとは到底想定しがたい。

 

本稿は、このような懐疑論の妥当性を批判的に検討することをねらいとするものである。そのために、まず、そのような懐疑論の前提となる核戦力の持つ「抑止力」の限界(有効性の範囲)を明らかにした上で、北朝鮮にとって核戦力の実際の効用がいかなるものであるのかを考察しようとするものである。

 

2 抑止力の限界

米朝間における核戦力の非対称な関係など現在の朝・米・韓三国の軍事力を前提とするなら、北朝鮮の核戦力が有する抑止力には、とりわけ次の二点において限界が存在すると考えられる。

  • 全面的先制核攻撃

第一に、現在程度の北朝鮮の核戦力は、米国からの核兵器を用いた全面的先制攻撃から生き延びる(有効な報復能力を維持する)ことができず、結果として、そのような攻撃を抑止する力を持たない。

米ソ冷戦時代のいわゆる相互確証抑止が成立するためには、互いに、第一撃に耐えうる報復攻撃能力を保有しなければならない。米ソは、互いに潜水艦発射戦略ミサイルの保有などによって、それを構築した。

しかし、北朝鮮の場合、当面、そのような水準の核戦力を保有できるとは考えられない。北朝鮮の陸上配置型のミサイル基地は、先制攻撃に対しては概して脆弱である。地下洞窟などの施設に隠匿したとしても、それへの攻撃に特化した兵器が開発されており、絶対安全とは言えない。個別の兵器すべてが網羅的に破壊されなかったとしても、その運用をつかさどる指揮系統が壊滅的なダメージを受ければ、その後の組織的運用は極めて困難になる。

また、今後、北朝鮮が開発中の潜水艦発射ミサイル(SLBM)及びそれを搭載しうる潜水艦というシステムが完成したとしても、北朝鮮は、それを安全に運用できる、すなわち敵の先制攻撃から確実に防護し得る「聖域」(海域)を持たない。また、北朝鮮の潜水艦は米ソのような原子力潜水艦ではなく、それらと同様の長期にわたる潜伏活動は困難であり、それだけ捕捉されやすいと考えられる。そこに米ソの持つSLBM(の残存能力)との決定的違いがある。米国にとって、日本などの協力を得つつ、日本海に潜航している北朝鮮の潜水艦の行動を捕捉し、有事に先制攻撃することがさほど困難とは考えにくい。少なくとも、北朝鮮として、外洋に出撃後のそれら潜水艦が敵の攻撃から絶対安全と確信することは困難であろう。

更に、米ソは、偵察衛星などを利用して互いに相手が戦略ミサイルを発射した場合、瞬時に把握し得る早期警戒システムを保有しており、相手の着弾を待たずに反撃が可能であったが、北朝鮮は、そのような能力を持たない。ステルス爆撃機による攻撃などの場合、攻撃を受けて初めてそれを知るということにもなりかねない。

仮に、北朝鮮がそのような大規模攻撃から生き延びた、ごく少数の核ミサイルを発射できたとしても、米国側のミサイル防衛システムによって迎撃される可能性が高いであろう。米国側のミサイル防衛システムの能力が米ソ冷戦時代に比較して飛躍的に向上していることは言うまでもない。

要するに、米朝間においては、現在はもちろん想定し得る将来において、かつての米ソ冷戦時代のような「相互確証破壊」は成立せず、したがって、米国は、必要・適切と判断すれば(政治・外交的な側面からの考慮は別として)、北朝鮮からの核報復攻撃のおそれをほとんど憂慮することなく、いつでも北朝鮮に対する全面的先制核攻撃を実施することが可能な状況にあるのである。

 

(2)限定的軍事攻撃

第二に、北朝鮮の核戦力は、それへの報復のために核戦力を行使するほどの重要性を持つとは考えにくい程度の軍事攻撃を抑止することはできない。端的な例を挙げれば、仮に、延坪島事件の逆バージョンのように、韓国軍が北朝鮮領内に数発の砲撃を行ったとして、北朝鮮がそれに直ちに核戦力で報復するとは誰も考えないであろう。これは、結局のところ、核戦力の保有によっては、そのような攻撃を抑止することはできないということを物語っている。

ここで重要なことは、それでは、ある行為が核による報復を招かない程度であるか否かを判定するのは誰かということである。一見、報復するか否かを決定するのは北朝鮮指導部であるから、それは北朝鮮側に委ねられているかのようにも見える。しかし、北朝鮮がそれをどう判断するかという判断をして、その行為を自制するか敢行するかを決定するのは、行為者(米韓など)の側である。

したがって、この状況を北朝鮮の側に立って考えるなら、相手側をどの程度抑止できるか(どの程度以下の攻撃は抑止できないのか)は、相手側の胸中に秘められていて、自分で直接コントロールできないということにほかならない。これに関して北朝鮮がせいぜいできることと言えば、常日頃から、「敵が我が領域を1ミリでも侵せば仮借ない反撃を受けるであろう」と言った「決意」を表明することによって、その「核使用の敷居」が決して高いものではないことを相手側に印象付けることぐらいであろうが、それをどの程度、真摯に受け止めるか(単なる宣伝文句と受け止めるか)は、結局のところ相手側に委ねられているのである。

もちろん、この状況を相手側の立場から考えれば、北朝鮮が核戦力を保有している以上、大規模な軍事侵攻などによって北朝鮮体制崩壊目前に陥れ、指導部をして「ただ座して死を待つよりも、一矢を報いたい」というような心境に追い込むことは避けようととの判断をもたらすことは間違いない。

しかし、体制の存続には直接影響を及ぼさない程度の軍事攻撃については、前述の「延坪島事件」のような低劣度の軍事行動にとどまらず、例えば、一部の緊要軍事施設あるいは核施設などに対するいわゆる「外科的攻撃」、あるいはトランプ政権初期に取りざたされたいわゆる「鼻血作戦」などについても、それに対して、仮に北朝鮮核兵器を用いた報復に出た場合(あるいは出ようとした場合)には、北朝鮮の体制を崩壊させるような大規模な攻撃を招くことは必至であり、結局、北朝鮮としては、憤懣を抱えながらも核の使用は自制せざるを得ず、仮に報復に出るとしても、通常兵器による報復などに留めざるを得ない、との判断が可能となる。

したがって、米国が限定的軍事攻撃の採否を決するに際して顧慮するのは、北朝鮮の核戦力ではなく、報復に用い得る通常戦力(例えば、ソウルを射程に収める砲兵火力など)であるということになる。これは、まさに、北朝鮮の核戦力がかかる限定的軍事攻撃の抑止力としては機能していないということにほかならない。

余談であるが、以上の議論に関連して、北朝鮮の非核化意思に対する懐疑論の一つの根拠となっている、「ウクライナの歴史の教訓」について論じたい。すなわち、仮にウクライナ核兵器を放棄せず戦力化していたら、ロシアによるクリミア併合(あるいはウクライナ東部地方での分離活動支援)を抑止できたであろうか、という疑問である。

ロシアのこれら行為は、現地のロシア系住民の活用や非正規民兵の送り込みなど巧妙な手段を併用して行われたといわれる。巨大な核戦力を有するロシアに対して、ウクライナが自国の核兵器使用の脅迫によりそのような侵略行為を抑止し、あるいはその中止・復旧を強制するというようなことが現実的に可能であっただろうか、ウクライナ全土がロシア正規軍の軍事攻撃によって征服されるおそれが存在したのであれば格別、クリミアないし東部地方と言った限定的な地域に対する、しかも、「ハイブリッド」と称される前述のような方法での侵略行為に対しては、結局のところ核戦力は抑止機能を有していなかったのではないだろうか。

北朝鮮と米国との関係においても、同様のことが言えるのではないだろうか。すなわち、仮に将来、核戦力を放棄した北朝鮮に対し、米国が限定的な侵略行為を行なうことがあるとすれば、そのような侵略行為は、北朝鮮が核戦力を保有していたとしても、抑止しえない(生起し得る)ことなのかもしれないということである。

 (続く)