rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

10月25日 評論「分組管理制の優越性を高く発揮させよう」(10月26日記)

 

 巷間、北朝鮮では金正恩時代に入って経済各分野でいわゆる「市場経済的」要素が従前以上に許容・導入され、農業部門では、それが「甫田担当責任制」と称して、耕地の個人請負を許容するような形で実施され、生産向上にも一定の効果を上げていると言われる。そして、それらの結果、実際的には社会主義経済体制が骨抜きにされつつあるとの見方が有力となっているように見受けられる。

 標記評論は、農業分野における指導機関と個人との関係の実情を示し、上記のような見方の有効性を判断する上で参考になると思われるので、1日遅れとなったが紹介したい。

 同評論は、冒頭、「分組管理制を正しく実施することが農業勤労者の責任制と創造的熱意を高め農業生産を増やすための重要な政策的要求」として、農業の指導管理においては、「農村の末端単位」である分組を基本単位とする方針を示した上で(参考:北朝鮮の協同農場は、基本的にいくつかの作業班で構成され、その作業班が更にいくつかの分組で構成されている)、その具体的課題として次の五つの点を挙げている。

 第一は、「農業勤労者に土地管理と営農工程遂行、生産計画遂行と関連した課題を明確に与え、それに対する総括を適時に実質的に行う」ことである。このような表現からは、指導機関が農民に対し、営農活動の全般にわたって個別・具体的な指示指導を行うことが求められており、農民ないし分組などに営農活動を「丸投げ」するようなことは想定されていないことがうかがわれる。

 第二は、各農場の実情に合わせて甫田担当責任制を実施し、農民が「主人らしい自覚と熱意を持ち責任を持って働いていくように」することである。ここには、甫田担当責任制の狙いが明確に示されているが、それは、農民がなお動員対象といういわば客体的存在にとどまっていることを物語っているとも考えられる。

 第三は、分配を「徹底して社会主義分配原則どおりに行うこと」である。この意味は、「平均主義」を排し、正確な「労力日評価」を基準とした分配を行うこととされる。より具体的には「生産された穀物から国家が定めた一定量を除外した残り」を「農民が得た労力日に従って現物を基本として分配」するとしている(参考:労力日とは、農民が日々の作業量等に即して与えられる得点のようなもの。その総得点を基準にして生産物の分配がなされる)。これを素直に解釈すると、やはり分組が日々の生産においても分配においても基本単位になっていて、耕地を特定個人に請け負わせ、その土地からの収穫は上納分を除き当該担当者が受け取る、という仕組みにはなっていないように見受けられる。

 第四は、「穀物収買課題を合理的に定める」ことである。「収買課題」とは国家が買い上げる量(農民の側から言えば、国家に販売することを義務付けられた量)である。同評論は、これが多すぎると(上記の労力日に基づき分配できる量が少なくなってしまい、結果、どれだけがんばっても収入は大差なしということになるから)農民の意欲は低下する、一方、過小に設定すると、国家による非農業住民への配給などに支障をきたすことになるとして(至極当然の指摘)、「国の食糧需要と農業勤労者の利害関係、生活上要求を正しく計算して穀物収買課題を合理的に定め」、農民が「奮発して闘争」するようにしなければならないとしている。

 第五は、「分組長の責任性と役割を高める」ことである。これも、結局のところ、分組単位の作業が上意下達式を基本として行われるもので、個別の農民はその指導の客体と位置付けられていることを示すものと言えよう。

 以上を総合すると、北朝鮮の農業経営は、少なくとも現在までのところ、「集団主義」的発想を基本として運営されており、個人による耕地の請負的方法は、存在するとしても制限的なものであって、それが主流となっているとは考え難い。

 なお、同日の労働新聞には、この評論とともに「多収穫先駆者たちの農事経験」と題して、多くの収穫を達成した何人かの農民が個人名・顔写真付きで紹介されていた。このような報道ぶりは最近に特徴的なものであり、既に、それを捉えて、従前の集団主義とは異なる傾向を示すものとの見方もなされている。模範事例の単位が従来の農場・作業班などから個人に移ったという意味での変化は確かに注目すべきことではあるかもしれない。

 しかし、前述のような農業経営の全般的な方針ないし状況を総合的に勘案するなら、そのような報道も、所詮は模範的な取り組み事例の顕彰・紹介にとどまるものであり、経営構造次元での制度的転換の兆候とみなすのはやや早計ではないだろうか。

 そもそも労働新聞には、季節の変化に合わせて田植え、草取り、収穫、脱穀など様々な営農活動について、各機関において指導・支援などに遺漏無きよう取り組むことを訴える記事が絶え間なく掲載されている。そのような督励を受けてようやく進行しているのが今日の北朝鮮農業の実相なのではないだろうか。換言すると、今日の北朝鮮の農業部門(農村ないし農民)の実情は、当局の指導・統制の「くびき」をはずせば爆発的な増産が実現される、というような状況にはないのではないかと想像されるのである。