rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

11月13日 北朝鮮は食糧不足なのか(「愛国米献納」再論)

 

 昨日のブログで、「社会主義守護」との文脈の下で事実上「愛国米」の献納を奨励するかのごとき論説(12日付け)を紹介した。同論説については、韓国の聯合ニュースにも本ブログと同様の視点から注目する記事が掲載されていて意を強くしたのだが、同記事がそのような論説の掲載を北朝鮮における食糧不足の反映であるかのような(断定はしていないが)書き方をしている点については疑問を呈さざるを得ない。

 そこで、以下、同論説、とりわけ「愛国米」献納の奨励と食糧事情の関係について検討することとしたい。

 結論を先に述べると、私は、今年の穀物生産量が需要に比して大幅に下回っているとか、今後深刻な食糧不足が到来するおそれがあるとかの認識・懸念を北朝鮮指導部が抱いているとは考えないし、12日付けの論説もそのような認識・懸念を反映したものではないと考える。

 そう考える根拠は、まず従前の関連論調において、生産目標を超過達成した農民への対応を種々論じていたことである。全般的な生産水準の大幅減少が見込まれる状況下で、そのようなことを論じるというのは不自然である。仮にそのような状況であったとするなら、その不足をいかに補うかを主に論じるべきであるが、そのような趣旨の記事・論調がこれまで盛んに掲載されたとは言い難い。

 二番目の根拠として、前項とも関連するが、昨今の農業関連の記事中には、果樹、野菜あるいは畜産などに関するものが相当量含まれていることがあげられる。金正恩が先般、現地指導したのも大規模な温室野菜の農場であった。主食となる穀物生産の深刻な不調が見込まれるとして、そのような副食類の生産を奨励し、そこに力を注ぐだろうか。マリーアントワネットは「パンがなければお菓子を食べれば」との言葉で有名だが、金正恩も「穀物が足りなければ副食で」という発想なのであろうか。言うまでもないが、主食は一応足りているとの前提で、もう少し豊かな食生活をということで果樹、野菜などに力を注いでいるのではないだろうか。

 もちろん、今年は気候の影響で北朝鮮穀物生産が芳しくなく、多くの国際機関などが食糧生産の減少を予測していることは承知している。しかし、前述のような動向を見る限り、北朝鮮指導部の認識としては、それらの事情(減収)はある程度織り込んだ上で格別の対応は必要なしとして、従前と同様の「国家穀物収買計画」を立て、それに基づく食糧の供給を想定していたと考えられるのである。

 では、何故、突然今になって「愛国米」献納を奨励する必要が生じたのか。一つの可能性として考えられるのは、生産量は概ね想定されていたとおりであったとしても、その収穫後の決算分配事業などにおいて何らかの齟齬が生じ、「国家穀物収買計画」が未達に終わるおそれが出てきたという仮説である。

 生産量の予測は、各単位における従前の経験などを踏まえた生育状況の観察などを積み重ねることによって、国家全体としても事前に概ねの予測は可能であろう。しかし、甫田分担責任制がいまだ試行的段階にあって収穫物の配分方法などが詳細には規定しきれていない(それをしっかり準備すべきことを訴えたのがまさに11月2日付け評論であった)ために、国家がその収穫分から「国家穀物収買計画」に基づき予定していた量の穀物を確保できないということはあり得ることではないだろうか。

 これも仮説であるが、甫田分担責任制によって、農民個人ごとの収穫水準にばらつきが生じたとして、国家が予定基準を超過達成した農民からは基準量だけを買い付ける一方、未達成農民からは基準量以下しか買い付けできなかったとすれば(ない袖は振れない)、全体の収穫量は予定量よりさほど減少していなくとも、国家の買い付け可能量は相当減少する(その分、超過達成した農民の手中に相当量が留保される)ことになる。この留保分は、おそらく、その後、市場などを通じて流通することになるので、最終的な食糧供給量に大きな変化は生じないかもしれない。

 しかし、政治的に重要なことは、その場合、多収穫農民は留保分を市場価格で販売することにより相当の利潤を手にすることができる(=農村内での格差出現)一方、国家の手を通じて配給できる穀物は減少し、その結果として国家の影響力は低下せざるを得ないということである。昨日の論説が訴えた「コメで社会主義を守護する」とは、まさにそのような事態の出現を防止することを意味すると考えるのは飛躍であろうか。