rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

9月18日 崔富日について(訂正・加筆版)

 

 今日は、「労働新聞」には、見るべき記事もないので(災害復旧関係では、先の視察時における金正恩の賛辞を敷衍して軍の貢献を称賛する「政論」と第1首都党員師団における政治教育などをとりあげた一連の記事が中心)、昨日、党中央委部署・家族から被災地への救援物資伝達を報じられた崔富日(一般的な標記は、富一)について、検討を加えてみたい。狙いは、同人が部長を務めるとされる、いわゆる「軍政指導部」の機能・権限を推測することである。

 まず、同人の略歴を韓国・聯合通信ホームページの人物データベースに基づいて、みてみたい。生年月日は、1944年3月6日、咸鏡北道会寧出身とされる。現在、76歳ということになる。

 1962年軍に入隊、旅団長、軍団参謀長などを経て、92年4月少将(48歳)、95年10月中将(51歳)。06年4月上将(62歳)と若いうちから出世をとげている。万景台革命学院などの卒業歴は記載されていないが、何らかの「烈士」関係者を縁故に持っていることが推測される。なお、「金正恩が子供のころにバスケットボールを教えた」などの話も伝えられているようだが確認されたものではないであろう。

 いずれにせよ、金正恩との関係は、10年9月、同人の公式デビューと時を同じくして。大将に昇格すると同時に党中央委員、中央軍事委員会委員に任じられたことで顕著化する。その後、10月の党創建65周年軍事パレードに際しては、総参謀部第1副総参謀長・作戦局長として、閲兵部隊指揮官を務めている。この時期が軍人としては絶頂期であったといえよう。

 しかし、金正日が死去し、金正恩が執権すると、その地位は動揺する。12年4月には作戦局長となり、この時期階級も上将に降格となる。

 その後、13年2月には人民保安部部長に任じられ、人民軍を離れることとなる。ただし、この異動は、その直後の3月党政治局候補委員に、4月国防委員会委員に、6月「大将」(人民保安軍大将ということか?)に任じられ、「ご栄転」の形になっている。その後も、波乱は続き、14年12月には一時的に少将に降格されたが、15年10月大将に復活した。

 更に、16年5月の第7回大会では、政治局委員に昇格、軍事委員会委員にも再選された(なお、6月、人民保安部から人民保安省への改編に伴い、人民保安部長から人民保安相に)。

 そして、昨19年12月末に開催の中央委第5回全員会議で、(人民保安相から)「党中央委員会部長」に任じられ、これに伴う形で、20年4月に国務委員を解任された。

 以上を総合すると、若い時期から参謀・指揮官系の軍人として順調に出世を重ね、金正日によって、金正恩を支える軍中枢に措定されていたところ、金正恩時代に入って、軍の主流からはずされる一方、治安関係部門の責任者として指導部入りを認められた人物といえよう。

 次に、彼の党中央委部長就任以来の動向を見ると、金正恩のミサイル発射、軍部隊演習指導、部隊訪問はじめ、その他の現地指導などに同行したとの報道は一切無い。朴正川総参謀長が金正恩の軍関係のみならずその他の現地指導・視察などにも頻繁に同行しているのとは極めて対照的といえる。

 本年1月以降、「労働新聞」紙面で崔富日の名前が報じられたのは、他の幹部と一緒の集会・行事への参加が大半であり、彼の名前が筆頭に報じられての活動は、今次、被災地への救援物資伝達が初めてである。

 最後に、最近における中央軍事委員会などでの崔富日の着席状況(氏名報道はされていないが、ニュース映像から判明)を紹介したい。

 まず、彼が党部長に任命後最初に開催された第4回拡大会議(5月24日報道。開催日言及無し)では、主席壇には金正恩一人が着席、最前列中央部分には、左端(筆頭の席と言える)から、李万建(政治局委員)と見られる人物、崔富日、李炳哲軍需工業部長、李秀吉総政治局長、李正川総参謀長の順で着席していた(同会議で、李炳哲は中央軍事委副委員長に選出、李正川は人民軍次帥に昇格。一方、李万建は解任と推測)。

 次の第5回拡大会議(7月18日)では、最前列中央部分の左端、すなわち主席壇に着席した金正恩、李炳哲副委員長を除く参加者の筆頭の位置に着席し、朴総参謀長は、彼の右隣すなわち下座に着席していた。

 しかし、同月26日に行われた軍主要指揮官への記念拳銃授与式の際は、朴総参謀長と位置が入れ替わり、左端から2番目すなわち朴総参謀長の右隣・下座に着席している。

 また、9月8日開催の中央軍事委第6回拡大会議(主席壇は前回と同じ2人が着席)では、最前列中央部分の左から4番目(朴奉柱党副委員長、金徳訓総理、朴総参謀長に次ぐ)の位置に着席していた。朴、金両人は政治局常務委員であるので別格としても、朴総参謀長より下座になる。

 要するに、崔富日は、現在では、朴総参謀長よりも序列の上では下位に位置づけられているわけで、これは、同総参謀長が中央軍事委第4回会議で人民軍次帥に昇格したことも関連しているのではないかと思われる(時期的に直ちに反映されたとは言えないが)。

 ちなみに、「軍政指導部」については、韓国の報道では、昨年12月末開催の中央委員会第5回全員会議で設置されたと伝えられている。同会議に関する報道では、同部そのものについての特段の言及はないが、彼の「部長」任命が同会議で決定されたのであるから、それで間違いないであろう。

 なお、その直前に開催された中央軍事委員会第3回拡大会議において、「全般的武装力に対する党の領導をより徹底して実現し担保するための組織機構的な対策が討議決定された」ことが報じられており(12月22日付け報道。会議開催日への言及なし)、中央委員会全員会議は、それを受ける形で同部を設置したと考えられる。

 以上を総合すると、これだけで結論を出すのはもちろん早計であろうが、いわゆる「軍政指導部」が、名称はともかく、「党(この場合、金正恩の意味であろう)の領導の徹底」を狙いに、軍事部門全般に関連した何らかの監督・統制的な権限・機能を有しているのは間違いないとみられる一方、軍に対する直接的な指揮・指導の権限を有している、あるいは崔富日が同部部長として、金正恩から軍に対する指導権限を「委任」されているという説には、相当無理があるように思われる。