rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

2022年11月29日 政論「祖国は強大であり人民は尊厳高い」

 

 標記政論は、表題に示されているとおり、「祖国の強大さ」と「人民の尊厳」をキーワードにして、忠誠、献身を訴えたもの。特徴的な部分を抜粋する。

  • 「強大な祖国と人民の尊厳! これは不可分の関係である。強大な祖国だけが人民に尊厳を与えることが出来、強大な国家だけが命よりも貴重な人民の尊厳を守り輝かすことができる」
  • 「ある国と人民において命よりも貴重なものは尊厳である。事実上、尊厳がなければ民族も国家も存在するとはいえず、繫栄も期待できない」
  • 「我々が高めた強国の地位は、すなわち我々の尊厳の高さであり、それは敬愛する総秘書同志の精力的で献身的な領導がもたらした高貴な結晶体である」
  • 「尊厳を守ってやる愛よりもっと大きい愛はなく、そのために傾ける情より涙ぐましいものはない」
  • 「偉大な首領を高く奉じて偉大な強国があり、偉大な人民の尊厳と幸福もある」
  • 「無限の熱情と力で祖国を支える人だけが我が祖国の空の下、尊厳高い共和国公民としての希望と夢を花咲かせ幸福を享受する権利を持つ。皆が強国の公民であるとの矜持と自負心を大切に堅持し、惜しみない力と熱情を捧げていこう」

  従前、11月29日は、2017年同日の「火星砲15」の試射成功による「国家核武力完成」の日として大々的に喧伝されてきた。おそらくこの政論もそれを念頭においているのであろう。しかし、文面上は、それを直接押し出すのではなく、前述のような「国家の強大」と「尊厳」という抽象概念を先行させ、それを裏付ける出来事として様々な武器開発の進展事例を紹介する形となっている。

 いずれにせよ、こうした論調は、執権10年を経た金正恩の最大の業績を、「国家を強大にすることによって人民の尊厳を高めた」ことに求める考え方をよく示していると思われる。最近しばしば用いられる「我が国家第一主義時代」という表現も、それを反映したものといえよう。そして、そうした「尊厳」は、同時に、人民に忠誠・献身を求める根拠ともなるのである。これが現在の北朝鮮体制を支える論理の基本構造といえるのではないだろうか。

 問題は、その「強大」さの根拠として主張できるものが、結局のところ、核・ミサイル開発の進展しかないという実情である。そうした点からしても、当分(人民生活などの分野で相当な成果を収めるまでは)、軍事力整備の動きに歯止めがかかることは期待しがたいし、いわんや「非核化」などはまったく論外ということであろう。体制正統化言説の「キーストーン」を喪失することにつながるからである。