rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

2023年9月30日 最高人民会議第14期第9回会議の進行・報道上の特異点

 

 標記会議の概況ととりあえずのコメントは、28日付けの本ブログで既述のとおりであるが、その議事運営ないしそれに関する報道ぶりなどにおいて、特異と思われる点をいくつか指摘しておきたい。

 第一は、核開発路線を盛り込んだ憲法修正(第1議題)の審議において、「討論」がなされていないことである。そこでは、崔竜海常任委員長が憲法修正の意義・内容を説明する「報告」を行い「審議に提議した」後、格別の「討論」を経ることなしに(少なくとも、それに関する言及はなく)、直ちに、「参加者達の全幅的な支持賛同の中で採択された」のである。

 そのことの特異性は、昨年9月の最高人民会議第14期第7回会議において「朝鮮民主主義人民共和国の核武力政策について」を「法令」として制定した際には、朴正天党秘書の「提議」を受け、内閣総理、軍総政治局長、青年同盟委員長の3人がこれを全面的に支持・賛同するとの「討論」を行った後に「全員一致で可決」したこと、あるいは、今次会議の第2~第4議題の法律制定においては、それぞれの法案に対し、いずれも2名の代議員が「討論」を行っていることと比較すると明らかになる。こうした「討論」は、もちろん形式的なものではあるが、同時に、当該決定が各界・各層の支持の下で行われたことを象徴的に示すものである。一般の法律よりも一層上位に位置づけられる憲法の修正において、そうした手続きが省略されたことの意味を考えざるを得ない。

 第二は、金正恩演説の位置づけである。昨年9月の最高人民会議第14期第7回会議の際の報道では、金正恩が2日目の「会議に参席」し、「施政演説」を行ったと報じられたが、今次会議では、金正恩は、「憲法改正に対する第1議題討議に傍聴として参席」し、その採決後、「演説」を行ったとされる。そうした説明を形式的に解釈すれば、今次「演説」は、憲法改正を受けてのものとも言える、その内容は、28日付けブログに既述のとおり、必ずしもそれにとどまるものではなく、対外路線や経済、社会などの課題にも及んでいる。こうした変化からは、昨年との比較において、参席について敢えて「傍聴」とされたことや「演説」から「施政」の表現は抜け落ちたことなどを根拠に、いわば金正恩の存在感の相対的低下との評価を導き出すこともできよう。

 一方、同人の会議への実際の出現態様を見ると、第7回会議の場合は、「施政演説」のために入場し、その終了後直ちに退場し、主席檀に着席することはなかった(つまり、主席檀に金正恩の席は準備されていなかった)のに対し、今次会議では、開会以前に入場して主席檀中央に着席し、そこで第1議題の審議過程を見守った上で、「演説」終了後、退場している。こうした出現形態に着目すると、会議における同人の存在感は、むしろ強まったと言わざるを得ない。

 いずれにせよ、同人の入退場・演説などに際し、鳴りやまぬ万雷の拍手喝さいが繰り返される光景にはいささかの変化もない。結局のところ、同人の絶対的権威・位置づけには何らの変動もなく、そうした「変化」は、報道上の単なる「表記の揺れ」に過ぎないのかもしれない。

 第三は、金融部門法執行状況総括(第5議題)の具体的内容がまったく示されていないことである。同議題に関しては、朴正根内閣副総理・国家経済委員会委員長が「報告」を行ったことが報じられているが、それに関する記述は極めて抽象的なものにとどまっている。また、「(同報告に)続いて行われた討論(複数)」についても、「金融部門法の要求に徹底して順守するようにする・・決意が表明された」などの表現にとどまっており(討論者氏名も示されず)、審議結果についても「第5議題に関する決定が一致可決された」とのみ報じられていて、審議の背景・内容・狙いなどを具体的にうかがうことは困難である。

 ただ、「討論」における「法の徹底順守」関する上述表現やその後の「組織問題」で中央銀行総裁が新任されたことなどから推測すると、金融部門において、何らかの違法ないし脱法的現象が相当普遍的に発生しており、その是正が図られたと見ることが可能であろう。そこで問題視されたのがどのような現象であったのかは判然としないが、いずれにせよ、金融部門においても、他の経済部門と同様、計画経済の原則に即した形へと引き締めが進められているのではないだろうか。

 第四は、国家宇宙開発局の国家航空宇宙技術総局への改編(第6議題)に関し、報告者、審議状況などが一切示されていないことである。したがって、新編された国家航空宇宙技術総局の機構・任務や責任者氏名等は不詳である。同審議の中で、先の偵察衛星打ち上げ再失敗に関する批判なども行われた可能性もあろう。そういった後ろめたい事情があるがための情報不開示とも考えられる。

 最後に、去就が注目された金徳訓総理の「留任」について考えてみたい。結果的に言えば、干拓地浸水に際しての金正恩の同総理に対する辛辣な批判(ないし、そのことの報道)は、行政・経済部門幹部全般の綱紀振粛のためのジェスチャーに過ぎなかったということになる。あるいは、金正恩の批判は「愛の鞭」であって、それを受けた同総理が深く反省したので、海のように深い恩情をもって引き続きの在職を許したとの説明も可能かもしれない。

 もちろん、そうであったとしても、ある人曰く、金正恩があれほど批判した同総理が(少なくとも公開の限りでは)なにごともなかったかのごとく、その職にとどまっているということは、金正恩の「お言葉」の重さを失わせることになる。この指摘には説得力がある。

 ただ、いずれにせよ、最大の問題は、金正恩がいくら怒って辞めさせたいと思っても、それだけでは辞めさせることができない(例えば、本人の反発、周囲の反対・慰留などが強いため)のか、あるいは、金正恩の意図に基づいて同人が留任したのか、どちらなのかということである、前者であるとするなら、北朝鮮指導部内の力学は、巷間想像されているほど金正恩の個人専制的なものではないということになる。

 これは、本当に重要な問題であり、慎重に検討すべきと思うが、とりあえずの見方としては、後者の可能性が高いと考える。その根拠は、執権初期に張成沢を粛清できた金正恩が、執権10年を超えた現在、金徳訓を辞めさせることができないとは考えにくいことである。また、状況証拠的には、金正恩がロシア訪問出発に際し専用列車に乗車直前、鞠躬如として見送る金徳訓に懇ろに話しかける場面がニュースで放映されている。金正恩にとって金徳訓は「叱り甲斐」のある部下なのかもしれない。いずれにせよ、近年では、高官が批判を浴びて更迭された後、「復活」する事例が少なくない。人事に関しては、執権初期における「権力闘争(食うか食われるか)」の時期は既に終わり、今は、「忠誠競争」の時期とみるべきなのかもしれない。