rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

2021年4月28日 旧ソ連の経験を通じてみる北朝鮮経済(後)

 

 前述のソ連の経験に即して北朝鮮経済を論じると、次のようなことが言えよう。

 まず、①は、北朝鮮が長年必死の努力を続けているにもかかわらず、結果的に見るべき経済成長を実現できずにいることの根本的理由を説明するものであろう。とりわけ、資本主義経済体制をとる韓国との競争において、同民族でありながら、決定的に敗れたことの説明となる。

 次に、②は、そのような非効率性を内包しながらも、北朝鮮経済が、「苦難の行軍」などの環境激変時期を除いて、それなりに安定的に維持されてきたことを説明する。

 また、③にいう「1回限りのカード」の例としては、今日、北朝鮮が「焦土からの奇跡的回復」として喧伝し、今日における苦境打開の模範として称揚している「戦後復旧」の背景に、実は社会主義諸国からの巨額の経済支援があったことをあげることができよう。また、近年における核・ミサイル戦力整備の進捗も、実は、経済部門への投資を犠牲にして実現されたものである可能性もある。2016年からの「国家経済発展5カ年戦略」が見事な失敗に終わった根源的な原因は、実にそこにあったとも考えられるからである。

 以上、ソ連経済のゴルバチョフ登場以前の経験は、北朝鮮経済の従前の状況と比較的符合するものであったといえるが、では、そのような北経済が、今日、とりわけ、経済制裁の継続、コロナ防疫のための貿易停止、自然災害の発生の「3重苦」(個人的にはそのような言い方には賛同しない)がしばしば指摘される中で、いよいよ最後の破綻への道を歩んでいるのか否かについて、その道をたどったゴルバチョフ期における経験(④、⑤)に即して検討してみたい。

 まず、④の「過剰需要」に関連する事項を見ると、1⃣金属、化学工業部門への集中投資は標ぼうされているが、経済建設の重点は、新規の生産施設の建設というよりは、国産化、リサイクルなどを可能とするための改造、生産正常化に向けた施設整備などに向けられており、また、盛んに強調される「人民生活向上」についても、その実現は、基本的に地方の「自力更生」に委ねられているとみられ、国家投資の大幅増加は見込まれていない、2⃣の財政収入については、概して国営企業の自主的裁量部分を国家の統一的管理に移行させる傾向がうかがえ、また、国営商店の活性化(サービス向上、商品の充実などにより)なども企図されている、3⃣の労働者の賃金については、これまで企業の自主権拡大などのよりいわゆる成果報酬の増額などが進められてきたが、このところ、そうした「物質的刺激」の利用は抑制し、それに代えて「〇〇日戦闘」「社会主義競争」などの思想的刺激を重視する傾向がうかがえることから、少なくとも大幅な増額が続いているとは考えられない、ということで、総じて、その抑制が図られていると評価できる。

 一方、このところ経済部門における「国家の統一的指揮」機能の強化が強調され、「単位の特殊化、本位主義」が強く批判され、「反社会主義、非社会主義現象」との闘争強化が求められるだけでなく、それを実行する党検閲委員会の再編や規律調査部の設置などの制度的措置が進められていることなどからは、ソ連の経験における④の4⃣及び⑤とは相反する動きがかなり強力に推進されていることがうかがえる。

 要するに、現在の北朝鮮経済は、苦境に直面しつつも、破綻に向けたコースを進んでいるわけではなく、むしろ、種々の政策は、(意図的か否かはともかく、結果として)破綻を回避する方向を向いているということになる。そこから得られるとりあえずの予測は、多くの人にとっては残念なものであるかもしれないが、北朝鮮は、経済的苦境の中にあっても、少なくとも当分の間、持久し続けることができるであろういうことである。

2021年4月28日 評論「人民大衆第一主義政治の基本要求」

 

 本評論は、人民大衆第一主義政治の基本要求として、次の3点を掲げる。

 第一に掲げるのは、「まず革命と建設の主人である人民大衆を覚醒させ、鍛錬し、彼らが最も力強い存在、力強い力量になるようにし、すべての問題を人民大衆に依拠して解決していくこと」である。この主張の背景には、「革命と建設の成果如何は、人民大衆をいかに組織動員するかにかかっている」との考え方、換言すると、「党の領導の下で思想的に覚醒奮発され、組織的に固く団結した人民大衆」を理想視する発想がある。すなわち、「人民大衆の無窮無尽の力は、思想の一致性、行動の統一性を保障するための粘り強く目的意識的な努力によってのみ維持され、より強化される」のである。ここで言う「努力」が党による人民大衆に対する指導教化を意味することはいうまでもない。

 以上を前提として二番目に主張されるのが「党と国家のすべての事業を人民に対する献身的服務で徹底して一貫させること」である。その表れとして、「経済事情が困難で複雑な情勢の中においても人民的施策が変わりなく実施され、人民の幸福のための巨大な大建設事業が大規模に展開されている」と主張している。ただし、本当に国家全体として持てる資源を人民生活向上に優先的に配分しているのかといえば、疑問といわざるをえない。それについては、後述する。

 最後に掲げられるのは、「人民大衆を革命と建設の主人と見ず、人民大衆の力を信じず、人民大衆の利益を侵害するあらゆる誤った傾向との闘争を強度高く進行すること」である。ここで「誤った傾向」とされるのは、具体的には「権力乱用と官僚主義、不正腐敗行為とあらゆる反社会主義、非社会主義的現象」である。そして、「我が幹部たち」に対して、「困難なときであるほど、人民と苦楽を共にし、彼らの声に耳を傾けつつ、質素で平凡に生活することを体質化、習性化しなければならない」と呼びかけている。

 本ブログで繰り返し指摘してきた点であるが、「人民大衆第一主義政治」は、決して「人民大衆のための政治」だけを意味するものではなく、むしろ、「人民大衆を動員対象とした政治」という側面を持つ。本評論は、これまでになくそれを前面に押し出したものといえる。

 また、人民生活向上のための施策についても、象徴的な「目玉物件」を別にすると、基本的には必要な資源は地方の「自力更生」による調達に頼るものとなっている。

 その端的な例として、同日に掲載された「党第8回大会決定を高く掲げ、市・郡を自らの固有の特色を持った発展した地域にしよう 市、郡強化の最終目標」と題する評論の主張をあげることができる。同評論は、「すべての市、郡が自体で人民生活問題を解決する自立的市、郡として、強国の位相に即した力強い文明的で富裕な故郷として転変する」ことを訴え、そのための「特色」の発揮を次のように主張している。「すべての市、郡が山があるところでは山を、海があるところでは海を利用することをはじめとして自然地理的有利性と自然資源を最大限効果的に利用するならば、自らの地域的特性を発揮して地方経済を発展させることができ、国家に大きな負担を与えなくても地域住民の生活を絶え間なく向上させることができる」(下線は引用者)。更に、生活消費物資を主に生産する「軽工業」部門については、地方工業とまとめて論じられる傾向を勘案すると、人民生活に対する国家としての投資は、最低限ですませようとしていることがうかがえる。

 以上を要約すると、「人民大衆第一主義」といっても、その力点は、動員対象としての「人民大衆」の重要性及びそのような動員を阻害する官僚主義等の排撃に置かれており、「人民大衆」を対象に供給されるはずの福利厚生は、実は地方の自助努力に任されているというのが実情であるということになる。

 更に言えば、その「福利厚生」の象徴となる「目玉物件」は、たいていが建造物であり、多くの場合、軍人や「突撃隊」などを動員した奉仕的労働によって建設されているのである。そして、それをもって、偉大な領導者の人民に対する例のない恩恵として宣伝しているのである。

 こうしたトリッキーな宣伝論理が北朝鮮の人々を本当に納得させているのか否か定かではないが、今のところ、ある程度は奏功しているようにも思える。

2021年4月27日 旧ソ連の経験を通じてみる北朝鮮経済(前)

 

 最近、たまたま、以前ある方からいただいた『経済体制と経済政策』(丹羽春喜)という本を読み返した。同書は、ソ連崩壊のしばらく後(平成6年=1994年)に出版されたもので、ソ連の「命令(中央集権指令)型経済体制)の問題点を指摘するとともに、それが何故、ゴルバチョフ時代に至って崩壊に至ったのか(それ以前の時期ではなく)を論じており、北朝鮮の現状を考える上でも、極めて示唆的な点が少なくないと感じた。

 そこで、同書の記述に依拠して、ソ連の経験という視点から北朝鮮経済を分析してみたい。

 まず、私なりに同書の主張を(かなり乱暴にではあるが)要約すると、次のとおりである。

ソ連が採用していた命令型経済体制は、価格メカニズムを活用する資本主義経済体制に比較して、諸経済資源の有効利用を実現するという面で、本来的に劣っている。当局の「計画機能」によって、それを実現することは事実上不可能であるからである。

②しかし、そのような命令型経済体制の持つ非効率性は、直ちに経済の混乱や行き詰まりをもたらすものではなく、非効率的ながらも、それなりのバランスを維持しつつ、体制を存続させていくことは可能である。

③また、そのような非効率性を抱えながらも、ある時代には、目覚ましい経済成長を実現でき、あるいは強力な軍事力を建設することができたのも事実であるが、その背景では、国民の消費水準を強力に抑制したり、あるいは一回しか利用できないカード(戦時賠償の獲得、未開の処女地開拓など)を切ったりといった方法を用いていた。要するに、そのような「成長」や軍備増強は、持続可能なものではなかった。

④そのような経緯を経て、ゴルバチョフ登場直前のソ連経済は、ほとんど成長力を欠いたぎりぎりの状況にあったのだが、それを更に亢進させたのは、ゴルバチョフ時代における次のような流れである。1⃣ハイテク部門などの成長を目指した大規模な投資を計画する一方、2⃣その財源確保のための方策(増税など)を怠ったため(アルコール販売を制限したため、国営商店の利益が大幅に減少したことも影響)、通貨を大量に増発せざるをえなくなり、更に、3⃣労働者の「民主化」促進などの政策により賃上げを認めざるを得なくなったことで国内に「過剰需要」(潜在的購買力)が蓄積した、そのような中で顕在化した闇市場などの問題に対して、4⃣党内保守派などは統制強化(「命令経済の徹底」を図ったが、ゴルバチョフの政治路線と適合せず、狙いを徹底できず、結局、急激なインフレが顕著化するに至り、経済・社会の混乱を招いた。

⑤そうした経済・社会的混乱を背景に、連邦を構成する各共和国の間で物資の奪い合い的な状況が生じ、それぞれが管内の地下資源や国営企業への管轄権を主張した結果、連邦政府は、財政収入を得ることができなくなり、存立の基盤を失った。

 ※以上の経験に即した北朝鮮経済の分析は、後段で行う予定。乞うご期待

2021年4月25日 評論「党組織は実質的な月生産総括で今年の人民経済計画遂行を強力に推動しよう」

 

 標記評論は、企業所、工場などの生産単位における党組織が行う毎月の「生産総括」の重要性を強調し、その在り方を論じたものである。

 まず、その重要性について、「(各単位で)重要な決定が採択され、その貫徹のための闘争が展開されれば、必ずそれについて総括し、再布置する事業を精密に実施」しなければならない」とした上で、それを行うに際して留意すべき点として、次のような主張をしている。

 最初に挙げられているのは、「何よりも、総括に先立ち、生産計画遂行状況を具体的に了解掌握し、党委員会において集団的に討議し、科学的な総括資料を作ること」である。そこでは、「月生産計画遂行に関する実態資料だけでなく、幹部の月間党的任務分担遂行状況と党決定執行のための組織思想事業進行状況、事業過程で提起されたあい路と難関などを漏れなく掌握」し、そうした情報に基づいて「あらわれた欠陥を現象ではなく、その根源を掘り下げて科学的に診断を下す」ことを求めている。

 次に、「月生産総括を(行政実務的にではなく)批判と思想闘争の方法で進行し、政治道徳的刺激と物質的刺激を正しく配合することによって、幹部と生産大衆を覚醒させ、奮発させる契機になるようにする」ことを求めている。なお、ここで、「政治道徳的刺激と物質的刺激」の配合については、前者を主とする原則を堅持すべきとしているが、それにせよ、後者についても言及していることは、「総括」の在り方を論じる中では注目すべき点かもしれない。

 最後に、「技術発展計画の遂行状況を共に総括」することによって科学技術の導入や人材育成を促進するとともに、「単位で創造された良い経営管理経験を発表」するなどして「総括過程が幹部に経済管理方法をはじめとした必要な知識を伝習させる過程となるようにする」ことである。この点は、このところの「科学技術重視」の傾向を反映した注文であろう。

 確かに、各生産単位において。毎月、こうした総括活動を実質的に行うなら、計画の実現を担保する上で非常に有効であろうと思われる。

 ただ、それにもかかわらず、現実には経済建設が慢性的に計画未達に終わっているということは、党組織の活動が形骸化しているためなのか、あるいは、そうした努力ではいかんとも克服しがたいほど資材・エネルギー供給などの客観的環境が厳しい状況にあるためなのか、と考えざるを得ない。後者が否定できないことは言うまでもないが、同時に、「信念で克服できない困難はない」という趣旨の北朝鮮の主張に接すると、前者にも相当問題があるのかとも思われる。

 例えば、ここで取り上げられている「月間総括」がどのように行われているのかといった点などについて、幹部の経験を持つ脱北者らから精密なインタビューを行うなどすれば、それなりに北朝鮮経済の実情を浮き彫りにできるのではないだろうか。韓国の北朝鮮専門家には、「南北経済統合」などといった夢想を語るよりも、そうした地に足の着いた研究を期待したいところである。

2021年4月24日 論説「単位の今日と明日の両方に責任を持つ立場に立って」

 

 標記論説は、企業経営の在り方について、日々の生産目標達成だけでなく将来における生産能力の維持拡大に向けた取り組みを怠らないよう訴えるものである。

 すなわち、「現行生産も重要であるが、それに劣らず重要なことが今日だけでなく明日にも生産正常化、生産活性化の槌音が変わることなくとどろくようにすることである」との主張である。

 それをもう少し敷衍すると、「現行生産課題を日別、月別、分期別、指標別にたがえることなく遂行することも極めて緊張した(困難な)事業である」が、それと並行して、「原料、資材、設備の国産化再資源化比重を高めるための事業、生産工程の現代化、情報化を実現するための事業、自体の科学技術力量を強化する事業」などを推進することである。

 ここでまず注目されるのは、「明日」に向けた課題の筆頭が生産力の向上(「現代化、情報化」)ではなく、維持のための「国産化再資源化」とされていることである。これは、「5か年計画」の「基本種子」である「自力更生・自給自足」の実現に向けた取り組み意志を示すものともいえるが、換言すると、現状のまま手をこまねいていると、明日の生産は保障できないという厳しい状況を反映したものともいえよう。

 同時に、「重要なことは、自体の科学技術力量、人材力量を整備する事業に力を注ぐこと」であり、「警戒すべきことは、単位特殊化と本位主義である」ことを強調している点も注目される。これらの点は、先の党中央委員会第2回全員会議で強調された点であり、前述の生産力の維持・向上という目標を実際に実現するための方法論として提起されていると考えられる。

 ちなみに、「単位特殊化と本位主義」に関連しては、本日の「労働新聞」が「経済事業に対する統一的指導は社会主義国家の基本任務の一つ」と題する論説を掲載している。

 その骨子は、「経済事業に対する統一的指導」が必要であることの理由として、①「経済の計画性と均衡性を徹底して保障するための必須的要求である」こと、②「社会生産物を統一的に掌握し合理的に分配利用するための重要な担保である」ことの2点をあげて、「すべての経済管理幹部は、経済事業に対する統一的指導が社会主義国家の基本任務の一つであることを深く自覚し、内閣責任制、内閣中心制の要求に即して経済指導管理を実施」することを訴えるもので、その中で、「単位特殊化と本位主義」を戒めている。

 なお、同論説は、「朝鮮労働党第8回大会の思想を深く体得しよう」のサブタイトルを付して以前から掲載されてきたシリーズの一つであり、以上の内容に格別の新味はないが、2点ほど付言しておきたい点がある。

 第一は、経済事業に対する「(国家の)統一的指導」をいう場合、同論説に限らず「内閣責任制・内閣中心制」が常に強調されるが、その前提として、「党の領導は、社会主義経済管理の生命線であり、その優越性と生産力を高く発揚するための根本担保である」との考え方が存在することである。つまり、ここでいう「内閣責任制・中心制」は、決して党の指導と対置される概念ではなく、むしろ、それを実現するための方法論として強調されているのであって、内閣の指導に服属すべ対象は、個別の「単位」ないし「部門」であるということである。これまでにも、「内閣責任制」が強調されるたびに、それを党との指導権争いの文脈で解釈する見方が繰り返し示されているようだが、それらは、概ね的外れな分析と言わざるを得ないのではないかと考える。

 第二は、本論説のように「統一的指導」の必要性・当為性を強調する主張は、党の会議をはじめ様々な場で従前から繰り返し示されているが、具体的にそれをいかに実現するかという方法論が示されることは、少ないということである。本論説でも、その点については、「経済管理幹部」の「自覚」を訴えるにとどまっている。それを制度的に担保する方法論を示せないところに。同じ主張を何回も繰り返さざるを得ない原因があるようにも思える。それについては、党中央委経済政策室(室長・全現哲、副総理兼任)ないし非常設経済発展委員会(その実態は不明だが)あたりが中心になって具体策を考究しているとみられるが、具体的にどのような方策が検討されているのか非常に興味がもたれるところである。

2021年4月23日 復古的精神主義の強調と科学技術重視思想の並存

 

 本日の「労働新聞」は、「首領の呼びかけ、革命の要求であるならいかなる不可能も知らなかった戦後復旧建設時期と千里馬時代の英雄たちのように生き闘争しよう」との共通題目の下、二つの政論はじめとする様々な記事を掲載している。

 そのうち、「我が党は英雄的な時代の精神で生き闘争することを要求している」と題する政論は、「1950年代戦後復旧建設時期と(1960年代の)千里馬時代の英雄のように生き闘争しよう、これが現時期の党の要求であり、革命の新たな勝利を勝ち取るための根本担保である」と主張し、一連の記事掲載の狙いを端的に示している。

 その趣旨は、それら時代が「最も過酷な試練の中で最も驚異的な勝利を成し遂げた時代」であったと規定し、「首領に対する忠誠心さえあれば、この世のいかなる奇跡も成し遂げることができるということがまさに戦後復旧時代と千里馬時代の英雄の闘争が証明した偉大な真理である」ことを主張した上で、現在の北朝鮮の状況について、「もちろん、我々が直面する難関は大きい。しかし、いかに困難であると言っても、空き地に徒手で建築したあの時ほど困難であろうか」と反問して、金正恩に対する徹底した忠誠心によって、苦境を打開することを訴えるものといえよう。

 そのような狙いは、「彼らが我々を見つめている」と題する政論における「すべての人民がその時代の革命観、人生観に照らしてもう一度、自らを新たに誕生させなければならない、まさにこれが革命の新たな勝利に向かって進む今日の闘争において最も重要な時代的要求である」などの主張によっても繰り返されている。

 この他の記事も、これら時代の様々なエピソードを紹介しつつ、それを範とした今日の苦境打開を訴えている。

 「労働新聞」の政論は、特に強調したい事柄などについて時折掲載されるのもので、それが同日に二つ並べて掲載されるというのは極めて異例といえる。それだけ、このテーマに基づく思想教化に並々ならぬ力を注いでいるということを示すものといえよう。

 ただし、これだけ書くといかにも精神主義一辺倒に陥っているかに見えるが、実は、本日の紙面には、「自立的科学発展観、自立的経済発展観確立は、社会主義経済建設の重要な要求」と題する長文の論説が掲げられている。

 そこで「自立的科学発展観」とは、「主体的立場において、自らの頭で探求し、開発創造して名実ともに我々式、自分のものであると言える科学研究成果を収め、技術発展を推動していく観点と立場」であり、「自立的経済発展観」とは、「自体の科学研究成果と技術発展に基づいて、いかなる外部的要因にも左右されず自らの力で経済発展を成し遂げていく観点と立場」と規定されている。そして、「今日の時代は科学技術と生産が密着し一体化した知識経済時代である。科学技術こそすなわち生産であり、経済発展である」として、科学技術が自立的発展の核となることを強調している。

 その上で、現在の苦境に関して、「すべてが不足し、困難である今日の状況において、我々が依拠すべき戦略的資産は科学技術である」として、科学技術の活用による打開を訴えている。また、興味深いのは、「自立的」であることを強調しつつも、国外からの知識導入を完全には否定していないことである、それについて、「別の国の価値ある科学技術を受けいれても、わが革命の利益と我が国の具体的な実情に即して精神を正しく持って完全に我々のものとするのであれば科学技術の自立性、主体性強化に実際的な変化、実質的な成果をもたらすことができる」と主張している。

 以上の主張のどちらか一方だけに着目するのではなく、それを並行して主張しているところに北朝鮮の路線の特徴を見出すべきであろう。

2021年4月22日 各地青年の困難地区への「進出」を称揚

 

 本日の「労働新聞」は、「青年たちよ、党の呼びかけに心臓で答える偉勲創造の旗手となれ」との共通題目の下、標記に関する様々な記事を掲載している。

 その冒頭に掲載された「青春の生をいかに輝かしていくか」と題する評論は、「去る3月、南浦市内の140余名の青年が・・・農村に初進出したことに続いて、全国の多数の青年が党の招く困難で大変な哨所へと先を争って駆けつけている」ことをとりあげ、「社会主義建設の主要戦区へと全国的範囲で同時多発的に継続される青年たちの嘆願熱気」について、「崇高な集団主義精神と革命的同志愛、高尚な道徳風貌を帯びた純潔で健全な青年たちが社会の活力ある部隊として奮い立っている」と形容するなど、口を極めて称揚している。

 評論は、その上で、そうした進出者をはじめとする青年に対して、「党にしたがって真っすぐに進む道、まさにその道に我が青春の価値ある栄誉、矜持高い生がある」として、党への忠誠、献身をひたすら実践するよう呼びかけている。

 また、金日成金正日主義青年同盟中央委員会副委員長による「党の忠実な交代者、後備隊に」と題する投稿文は、「(青年同盟が)嘆願者を広く紹介宣伝するための事業を意義深く組織し、すべての青年たちが彼らの模範を見本として、偉勲創造、肯定(的模範)創造、文明創造の旗手、美徳と部風の先駆者として準備していくように力強く推動する」との決意を披歴している。

 このほか、「重要戦区に駆けつけた進出者の闘争ニュース」では、各部門への進出者の活動状況などを具体的に紹介している。

 こうした各地青年の「進出」動をめぐる報道については、本ブログでもこれまで何回か紹介してきたが、その狙いについては、明確な答えを示すことができていなかった。上記記事などを踏まえた現時点での暫定的結論としては、こうした動向は、先の党大会で青年対策強化の必要性が強調されたことを受けて、青年層に対する思想的感化のための「模範」の提示を狙いとして開始されたキャンペーンであり、同大会で党中央委の宣伝扇動部長から勤労団体部長に横滑りした李日換(政治局委員・党秘書)の指導の下、青年同盟が実行役となって推進しているものと考える。農村や重要工場への若年労働力の供給という経済的側面からの狙いもある程度は含まれているかもしれないが、それらは副次的なものに過ぎないであろう。これまで報じられた進出者の数(「1,600余人」。4月13日付け本ブログ参照)は、経済的効果を期待するにはあまりにも少ないが、思想教化の「模範」としては、十分といえよう。

 こうしたキャンペーンの展開は、青年対策がそれだけ重要な課題として認識されていることの反映といえよう。そうした意味からも、来週開催予定となっている青年同盟大会の開催状況が注目される。