rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

2021年4月28日 評論「人民大衆第一主義政治の基本要求」

 

 本評論は、人民大衆第一主義政治の基本要求として、次の3点を掲げる。

 第一に掲げるのは、「まず革命と建設の主人である人民大衆を覚醒させ、鍛錬し、彼らが最も力強い存在、力強い力量になるようにし、すべての問題を人民大衆に依拠して解決していくこと」である。この主張の背景には、「革命と建設の成果如何は、人民大衆をいかに組織動員するかにかかっている」との考え方、換言すると、「党の領導の下で思想的に覚醒奮発され、組織的に固く団結した人民大衆」を理想視する発想がある。すなわち、「人民大衆の無窮無尽の力は、思想の一致性、行動の統一性を保障するための粘り強く目的意識的な努力によってのみ維持され、より強化される」のである。ここで言う「努力」が党による人民大衆に対する指導教化を意味することはいうまでもない。

 以上を前提として二番目に主張されるのが「党と国家のすべての事業を人民に対する献身的服務で徹底して一貫させること」である。その表れとして、「経済事情が困難で複雑な情勢の中においても人民的施策が変わりなく実施され、人民の幸福のための巨大な大建設事業が大規模に展開されている」と主張している。ただし、本当に国家全体として持てる資源を人民生活向上に優先的に配分しているのかといえば、疑問といわざるをえない。それについては、後述する。

 最後に掲げられるのは、「人民大衆を革命と建設の主人と見ず、人民大衆の力を信じず、人民大衆の利益を侵害するあらゆる誤った傾向との闘争を強度高く進行すること」である。ここで「誤った傾向」とされるのは、具体的には「権力乱用と官僚主義、不正腐敗行為とあらゆる反社会主義、非社会主義的現象」である。そして、「我が幹部たち」に対して、「困難なときであるほど、人民と苦楽を共にし、彼らの声に耳を傾けつつ、質素で平凡に生活することを体質化、習性化しなければならない」と呼びかけている。

 本ブログで繰り返し指摘してきた点であるが、「人民大衆第一主義政治」は、決して「人民大衆のための政治」だけを意味するものではなく、むしろ、「人民大衆を動員対象とした政治」という側面を持つ。本評論は、これまでになくそれを前面に押し出したものといえる。

 また、人民生活向上のための施策についても、象徴的な「目玉物件」を別にすると、基本的には必要な資源は地方の「自力更生」による調達に頼るものとなっている。

 その端的な例として、同日に掲載された「党第8回大会決定を高く掲げ、市・郡を自らの固有の特色を持った発展した地域にしよう 市、郡強化の最終目標」と題する評論の主張をあげることができる。同評論は、「すべての市、郡が自体で人民生活問題を解決する自立的市、郡として、強国の位相に即した力強い文明的で富裕な故郷として転変する」ことを訴え、そのための「特色」の発揮を次のように主張している。「すべての市、郡が山があるところでは山を、海があるところでは海を利用することをはじめとして自然地理的有利性と自然資源を最大限効果的に利用するならば、自らの地域的特性を発揮して地方経済を発展させることができ、国家に大きな負担を与えなくても地域住民の生活を絶え間なく向上させることができる」(下線は引用者)。更に、生活消費物資を主に生産する「軽工業」部門については、地方工業とまとめて論じられる傾向を勘案すると、人民生活に対する国家としての投資は、最低限ですませようとしていることがうかがえる。

 以上を要約すると、「人民大衆第一主義」といっても、その力点は、動員対象としての「人民大衆」の重要性及びそのような動員を阻害する官僚主義等の排撃に置かれており、「人民大衆」を対象に供給されるはずの福利厚生は、実は地方の自助努力に任されているというのが実情であるということになる。

 更に言えば、その「福利厚生」の象徴となる「目玉物件」は、たいていが建造物であり、多くの場合、軍人や「突撃隊」などを動員した奉仕的労働によって建設されているのである。そして、それをもって、偉大な領導者の人民に対する例のない恩恵として宣伝しているのである。

 こうしたトリッキーな宣伝論理が北朝鮮の人々を本当に納得させているのか否か定かではないが、今のところ、ある程度は奏功しているようにも思える。