rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

11月22日評論「自存と依存」(11月24日記)

 

 「自力更生」路線の必要性を主張するもので、その結論自体に新味があるわけではないが、いくつか注目される点があるので、簡単に紹介したい。

 第一は、「自力更生」すなわち「自存」が決して唯一絶対の選択肢ではなく、「依存」という選択肢もあり得ることを認めた上で、何故、「自存」を選択すべきかを説いていることである。

 すなわち、「自存か、依存か、これはどの国家や民族であっても存立と発展の道において不可避的に直面することになり、熟考して決定するべき重大な選択問題」であり、「依存は容易だが自存は難しい。依存は甘いが自存は苦いこともある」とした上で、「しかし、(自存は)苦いものであるだけに補薬の効果はより大きくあらわれるというものである」と主張する。

 第二は、「自存」が「尊厳」「自主性」維持のための選択であることを強調している点である。評論は、「自存は最初は疲れるし難関が一つ二つではないが、いったん最初の一歩を踏み出せば、徐々に飛躍の確固たる跳躍台が準備され、誰かに神経を使う必要なしにひたすら前に走っていくだけとなる」「自分のもの、自分の力があってこそ尊厳を守ることができる」一方、「(依存は)自分のものがなく力が足りなければ(他人に支援を)乞い求めることになり、屈従すれば政府があっても植民地になる」と主張している。「政府があっても植民地」というのは韓国を念頭においた表現と思われる。

 第三は、これが最も注目される点だが、北朝鮮国内が「自存」路線で完全に意志統一されているわけではないことを明示していることである。

 すなわち、「一部単位においては、自力更生、刻苦奮闘の革命精神で難局に立ち向かい突破していく考えを持たず、形勢が良くなるのを束手無策で座って待っているだけであったり、いまだに何かを輸入に依存しようとしたりするような敗北主義的行動がなくならないでいる」と言うのである。

 そして、そのような問題を是正するために「時代の鏡となっている人民軍隊の闘争振りと模範単位の目覚ましい成果に誰もが自分の単位の事業をもう一度照らし合わせてみなければならない」としている。このような表現からは、前段の「一部単位」におけるものとされている「敗北主義的行動」などが実はさほど例外的なものではなく、むしろ「人民軍隊」や一部の「模範単位」を除く「誰も」に(程度の差はあれ)共通する現象であることを示唆しているとも考えられる。

 最後に余談だが、「自存と依存」という表題は、金正恩が両者を対比して「一文字違うだけだが意味は正反対」である旨述べたことから付けたようである。