rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

11月28日 北朝鮮にとってのGSOMIA問題再論

 

 先般、釜山で開催されたアセアン首脳会議への金正恩招請を拒絶した朝鮮中央通信記事(11月21日付け)について論じた際、GSOMIA問題との関連にも言及したが、問題提起で終わってしまった。以下、その問題について検討してみたい。

 まず、私の問題意識を改めて整理すると、北朝鮮は、GSOMIAに公式的には反対の立場を表明しており、また客観的にも、韓国が米国の強い反対圧力を押し切ってその終了決定を実行に移せば、結果的に米韓の同盟関係に少なからぬ悪影響を及ぼすであろうことを認識していたはずである。それにもかかわらず、韓国において、その存続への対応が決定される重要な時期に、前掲の金正恩に対する招請拒絶を公表したのは、何故なのかということである。

 最初にその答えとなり得る仮説を列挙した上で、それぞれの妥当性を検討する。

仮説①:金正恩への招請拒絶がGSOMIA延長問題に影響を及ぼすとは考えなかった(文政権内部では既に終了が決定されていると考えていた)。

仮説②:金正恩への招請拒絶がGSOMIA延長問題に影響を及ぼすとは考えなかった(終了が流動的であるとは見ていたが、招請拒絶がその決定に影響を及ぼすとは考えていなかった)。

仮説③:金正恩招請への対応は、GSOMIA問題への影響を考慮することなく決定された。

仮説④:そもそもGSOMIA問題をさほど重要とは考えていない又はGSOMIAの終了が延長よりも望ましいとは考えていない。

 仮説 ①について:この可能性が最も高いと考えられる。文政権がGSOMIAの終了停止を決定した正確な経緯は明らかになっていないが、仮に、数日前までは「そのまま終了」というのが大勢であり、直前になって急転直下「終了を一時停止」になったということであれば、北朝鮮がそのような状況の変化に機敏に対応できず(情報入手→政策への反映→執行のサイクルが間に合わず)、朝鮮中央通信の記事発表に至ってしまった可能性は、十分あり得るであろう。

 この場合、北朝鮮としては、GSOMIA終了を見込んだ上で、その後に文政権が日・米からの厳しい対応を受けることを想定しつつ、そこに助け舟を出すことを敢えて拒否するばかりか、むしろ非公開の「親書」暴露などで同政権を一層の窮地に追いやる対応を敢えて選んだということになる。

 とすると、北朝鮮の文政権に対する姿勢は、極めて厳しい、冷酷なものと言わざるをえない。そういった姿勢が最近の金剛山観光地区の施設撤去問題をめぐる韓国への「問答無用」的な対応などに反映されていると考えることもできよう。

 仮説②について:この可能性は低いと考えられる。北朝鮮が文政権内部のGSOMIA終了可否をめぐる議論が続いていると認識し、かつその終了を望んでいたとすれば、取り得るすべての手段を用いてそれへの影響力行使を目指すと考えるべきであろう。そのために、金正恩訪韓は無理であったとしても、「特使」程度は派遣できたはずである。そうした行動によって、南北関係の「緊密さ」を内外に改めて印象付ければ、それが北朝鮮の脅威を前提としたGSOMIA問題への対応をめぐる議論に影響を及ぼさないとは到底考えられない。

 また、「特使」さえ不可であったとしても、金正恩招請のやりとりを水面下にとどめることはできたはずで、それだけでも、最後までぎりぎりのせめぎ合いを繰り広げていた文政権内部の議論にいささかなりとも影響を及ぼすことができたのではないだろうか。 

 仮説③について:この可能性は否定できないと考える。韓国の金正恩に対する今次招請北朝鮮においては、非常に不誠実なものと認識されたとすれば(前掲朝鮮中央通信の記事からは、それがうかがわれる)、北朝鮮の思想風土の中では、金正恩の「尊厳保全」という次元の問題ともなり、韓国には厳格な懲罰的対応が必要と判断され、そのような問題の前では、GSOMIA問題への影響といったいわば実利的問題との比較衡量は許されなかった可能性がある。

 仮説④について:仮にこの考え方が正しいとするなら、北朝鮮の対韓路線についてのこれまでの「常識」(私自身のものも含めて)は、根底から見直す必要があることになる。

 強いて、この仮説に適合する答えを求めるなら、北朝鮮指導部は、公式的な宣伝スローガンとは裏腹に、実は体制維持の必要上から、「米帝の傀儡」としての韓国を欲していると考えることができるかもしれない。すなわち、住民の引締め・団結のためには、「脅威」となる「敵」の存在が必要であり、また、経済面では絶対に勝てない韓国に対して、北朝鮮体制の正統性を主張するためには、韓国が「傀儡」であってもらわなくてはならない、と考えているとの説明である。

 このような考え方に立てば、韓国が当面、GSOMIAを維持しようと終了しようと大きな問題ではなく、むしろ、その終了を契機に米韓関係が悪化し、韓国の「自主化」が急速に進むような事態になれば、「韓国政府=傀儡」との宣伝がしにくくなる。また、米韓軍事同盟には、ある意味で韓国の対北軍事行動を抑制してきた側面があると見れば(歴史的にそのような局面があったことは否定できないであろう)、それが脆弱化することは、北朝鮮にとって必ずしも望ましいこととばかりは言えないとの論法が成り立つかもしれない。すなわち、北朝鮮にとっては、韓国が「自主的」でかつ北朝鮮に「宥和的」であっても、それだけではなお不十分であり、むしろ扱いにくい対象であるのかしれない、ということである。

 余談ながら、では北朝鮮にとって、どのような韓国が望ましいのかと言えば、抽象的な表現であるが、「北朝鮮の主導権ないし尊厳を損なうおそれのない韓国」ということになるのではないだろうか。 

 結局のところ、以上の仮説①、③、④は、いずれも可能性を否定できず、最初に提起した問題に対する明確な結論を示すことはできない。

 ただし、その三つの仮説に共通して言えることは、北朝鮮の文政権に対する姿勢が同政権の極めて宥和的な対北朝鮮姿勢とは対照的に、極めて厳しいものであるということである。そして、そのような姿勢は、単なる交渉戦術の次元を超える、より根源的な理由・事情に基づくものと考えられる。今後、仮に文政権下において南北関係が再び「蜜月」関係に戻ることがあったとしても、同政権の体質に根本的な変化が生じない限り、それは、むしろ戦術的な演出によるものであって、結局は一時的なものに終わるのではないかと予測される。