rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

1月5日 評論「公衆道徳と我々の生活」

 

 道徳気風の確立については、昨年末の中央委全員会議における金正恩の報告の中でも言及されていたが、正直に言うと、具体的に何が問題になっているのか、判然としないところがあった。本評論の表現からは、そのような疑問への答えをある程度得ることができる。

 評論は、まず「公衆道徳」について、例えば、「人々が社会共同の財産である公共施設と文化休養施設、運輸手段を利用するにおいて、身なりと言葉と行動をいかに行うか」といった問題であると説明する。

 その上で、望まれる行動として、「すべての人々が劇場と映画館、公園、遊園地、商店、食堂(レストラン)をはじめとした公共の場所において定められた秩序と規律を自覚的に遵守し、施設を愛護し、正しく取り扱うこと」や「常に服装を端正に整え、公共の場所において言葉と行動を礼儀正しく行うこと」などを例示している。

 一方、現実の問題点として「一部の人々の中では、いまだに服装と髪型をしたいがままにし、言葉と行動を粗暴にし、公共の場所において定められた秩序と規律に違反することをはじめ公衆道徳を守らない現象がなくならないでいる」と指摘する。

 そして、金正恩の教えとして、「公衆道徳と社会秩序をしっかり守ることは、今日、我が社会の文化道徳的面貌を一新するための重要な事業となるだけでなく、社会的安全を保障し、共和国の対外的権威を高めるための政治的事業となる」として、公衆道徳を守ることの意義を強調している。

 以上の内容を総合すると、北朝鮮社会における公衆道徳の問題とは、要するに、①服装、髪型などの乱れ(例えばジーンズなど「資本主義的文化」と目されるスタイルや長髪などのことか?)、②公共の場所における粗暴な言動(喧嘩、順番を守らないなどか?)、③公共施設や物品の破損、などと推測される。

 そして、金正恩の教えとされる内容からは、そのような問題現象が相当一般的に蔓延し、社会安全上の問題につながりかねない程度に至っていることがうかがえる。また、「対外的権威」との表現からは、そのような現象が外国人の目にも触れかねない状況にあることもうかがえる。

 北朝鮮の公衆道徳の現状がそのようなものであるとすると、それは、一般にもたれている「秩序整然とした社会」といった印象とはずいぶん異なるものである。ちなみに、1970年代には、ソウルの市場などをしばらく歩いていると、必ずと言ってよいほど喧嘩の場面を目撃したものである。同じ民族である(北朝鮮地域の人の方が伝統的に気性が荒いともいわれる)から、あるいは、一部に伝えられている「警察官や取り締まり要員に反発する民間人の姿」なども、実は、それほど珍しいものではないのかもしれない。