rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

4月26日 論説「道徳が重視されてこそ社会主義が活力をもって前進する」

 

 標記評論は、まず、昨年12月の党中央委全員会議における金正恩の言葉として「我々は、社会主義道徳気風を確立するための事業を全党的、全社会的な事業として堅持し強く推進し、人々の道徳意識と道徳生活において革命的な転換が起きるようにしなければなりません」を掲げた上で、その必要性を次の二点に分けて論じている。

 第一は、「道徳を重視することは、社会主義本態を固守し、その優越性を余すところなく発揚するための必須的要求であるから」である。その趣旨は、そもそも「社会主義本態と(その)優越性は、集団主義にある」ところ、それを維持するために法と道徳の両面からの規制が必要であるが、人々の多様な考え、活動を「法だけでは社会主義の本質的要求に合わせて進行するよう統制し調整することができない」ので、「法ができないことをやりとげるのが正に道徳である」と主張する。

 とりわけ、「敵対勢力どもの策動が人々を精神道徳的に腐敗堕落させることに集中されている今日、瞬間でも緊張を緩めれば、数十年努力して確立してきた道徳気風に曇りが生じ得る」と警戒を訴えている。

 第二は、「社会主義強国建設をより力強く推進していくための重要な担保であるから」である。すなわち「社会主義建設の動力は他人よりも先に進もうとの人民の高い精神力であ」り、「人民の精神力は、党と革命、国家と社会のため献身することを道徳的義務として自覚するとき絶え間なく奮発昇華される」からである。

 そこで求められるのは、「祖国のため黙々と献身していくことに生きがいと幸福を求める崇高な道徳義理の体現者」であり、「自分がする仕事に対して知ってくれる人、その苦労を分かってくれる人がいなくても、祖国の富強繁栄に寄与できさえするなら、それ以上望むものはないとの清らかな心を抱いて一生を火のように生きる、このような愛国者」である。そういった人々が「社会主義強国建設」の担保となるという主張である。

 同論説の注目点として、3点をあげたい。最初は、本ブログでもしばしば紹介している最近の道徳強化キャンペーンが金正恩の上掲発言を契機にしたものであることをうかがわせていること。次は、ここで「道徳」として求めていることは、要するに「利他的行動」であること(まさに先般した「集団主義」と同旨ということ)。また、それとも関連するが、「愛国」という概念が正当性の絶対的な根拠として利用されていることである。

 ちなみに余談であるが、同論説を読んでいて、昔どこかで聞いた「社会主義は人間の性善説を前提にしている」という説を思い出した。

 確かに、上記第一の主張は、人々が法的義務以上の貢献を進んで果たすことが社会主義体制が円滑に運営されるための「必須的要求」であるという考え方を前提にしていると考えられる。また、第二の主張も、人々が利益や評価によってではなく、性善説的に行動することが社会主義の発展を支えるとの主張といえる。そもそも、論説の題目自体が、まさにそれを言い換えたものともいえる。

 そのような意味で、北朝鮮体制も確かに人々が「性善説」的に思考・行動することを絶対的に必要としており、金正恩の前述のような呼びかけも、また、そのような必要性に即したものなのかもしれない。