rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

2021年5月30日 論説「我が人民が使い生きるすべてのものは、最上のものでなければならない」

 

 標記論説は、「我が国社会主義制度は、人民の利益と便宜を最優先、絶対視し、すべてのものが人民のために服務する最も優越した社会制度である」という大前提の下、「我々のものが他国のものより実際に良くてこそ我が国家第一主義、我が制度第一主義が生活に土台を置いた真実で強固なものとなることができる」「我々のものが他人のものを圧倒してこそ人々が最も優越した社会主義制度に生きる矜持と自負心を抱き、祖国の尊厳をより輝かせるため身を捧げて闘争するようになる」などとして、そのような大前提を証明ないし納得させるために、我々のもの(生活物資、建築物など)の質を高い水準に保つべきと主張するものである。

 そのため、具体的には「すべての工場、企業所において技術規定と標準操作法、工法のような質的指標を正しく制定し、生産者と建設者が徹底して(それら指標を)守るように要求性を高め、それに違反する現象と強い闘争を展開」することを求めているのである。

 このような主張を裏から読むと、現在の北朝鮮では、生産・建設現場で質的基準さえ明確に規定されていない(あっても軽視されがちな)状態で、他国のものに比べ見劣りする品質の製品ないし建築物などが多数供給されているために、人々は自国に誇りを持てず、社会主義体制に対する信認にも動揺が生じているということであろう。

 ただ、本ブログでこれまで紹介してきたように、最近の「共産主義社会」に関する言説では、体制の優越性は、そうした物質的充足によってではなく、「社会的美風、道徳観」などによって発揮されるとする傾向がうかがえる。もちろん、そうは言っても、現実に日常物資に対する不満を原因として人々の体制に対する信認が揺らいでいるとすれば、そうした抽象論・理想論ばかり並べていても体制を保全することはできない、生産の「質」の向上は喫緊の課題であるとの考え方も当然存在するであろう。

 両者は、必ずしも矛盾するものではないのかもしれないが、やはりどちらに力点を置くかによって、なにがしかの「綱引き」現象が起きることも想定できるのではないだろうか。その辺を注意深く見ていきたい。