rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

5月4日 もう一つの「4月15日の謎」

 

 金正恩の動静が20日ぶりに報じられ、「騒動」は一応収束したが、その発端となったのは、彼の「4月15日の錦繍山太陽宮殿参拝」が伝えられなかったためであった。

 実は、4月15日には、もう一つ、同じような(起こるべきことが起きないという)「謎」があった。かねて国を挙げる事業として建設が推進されてきた元山カルマ海岸観光地区の「完工」が伝えられなかったことである。

 私も今になって思い出したのだが、昨年4月6日の報道によると、同建設現場を指導した金正恩は、速度だけ重視する進め方を批判して、「速度戦で建設するのではなく、工事期間を6か月更に延長して来年太陽節までに完璧にやり遂げ」ることを指示したとされる。ここで「来年太陽節」とは、まさに今年の4月15日にほかならない。

 なお、ここで金正恩が「更に延長」と言っていることには背景がある。彼は、2018年6月6日に報じられた同地現地指導に際しても、「来年太陽節までの完工」を指示したとされるのである。しかし、昨年4月に訪問した時点では、同地の完工目標は同年10月となっており、既に当初の指示より6か月延長されていたことになる。それを更に6か月延長して、2020年4月までの完工を指示したのである。

 その後、昨年8月26日には、朴奉柱党副委員長が同地を現地了解したことが報じられた。そこで、彼は、「党の雄大な大建設構想を輝かしく実現する衷情の一念を抱いて東海の名勝40里に我々の式の海岸都市を立派に立てるための闘争において奇跡と革新を創造している建設者たちを鼓舞」し、「すべての建設物の質的水準を最上に保障し、関連部門において生産潜在力を総動員して必要な設備と資材を適期に生産保障することについての問題、園林緑化事業をしっかり行うことについての問題などを強調した」とされる。このような報道振りからは、工事の特段の遅れはうかがえない。

 そして、本年3月11日には、本ブログでも紹介したが、「元山カルマ海岸観光地区建設場から届いた知らせ」と題する記事が掲載された。同記事は、「内部工事に力を集中」及び「園林緑化事業を積極推進」との二つの部分からなっており、人民保安省をはじめとする様々な機関・地域を母体とする「突撃隊」によって、同工事が着々と進められている様子が報じられており、最後は、「(同地区を)党において定めてくれた時間に、党において要求する高さで立派に出来上がらせるため一体となって奮い立った幹部と建設者達の力強い闘争によって、工事は積極的に推進されている」と結ばれていた。このように同記事でも、工事の遅れや蹉跌はうかがわれず、むしろ、最後の仕上げ段階にあることが示唆されていた。(なお、同ブログに工事完了目標を「党創建記念日(10月10日)」と書いてしまったが、上述のとおり、これは勘違いでした。お詫びして訂正します)。

 以上のような経緯にもかかわらず、4月15日及びその前後に同地区の完工を伝える報道はまったくなかったのである。ただ、4月27日に至って、同工事建設を「積極的に支援した幹部、勤労者」に対して金正恩が感謝を送ったことが報じられただけである。感謝を送られたのは、工事に直接参加した者ではなく、そこに支援物資を送った者などである。

 以上の経緯は、何を意味するのであろうか。同地区の工事は、何らかの事情で完工(あるいはその発表)を延期せざるを得ない状況に陥ってしまったのであろう。それが判明した時期は、おそらく上記3月11日の記事掲載の後のことではないかと推測される。ここまでは、ほぼ確実な事実関係及びそれに基づく推測であるが、以下に大胆な「憶測」を述べたい。

 それは、冒頭に記した金正恩の「錦繍山太陽宮殿」不参拝の理由である。彼は、4月15日には、元山カルマ海岸観光地区の「完工式」に出席する予定であった(そのためにおそらく14日までに元山入りしていた)のではないだろうか。それであれば、錦繍山太陽宮殿に行かないことの立派な理由にもなる。しかし、突然、何らかの理由で「完工式」ができないことになり、彼も、同地でその対策に当たっていたが、結局、この時期の「完工」(ないしその発表)は見送りということになり、とりあえずの総括として、支援物資送付者への「感謝」だけを決めて同地を離れた(27日以降)、という見立てである。

 もちろん、突然、「完工」できなくなった理由を指摘できない以上、この見立てが説得力を欠くものであることは十分承知している。同地区の建設状況の最近の推移などが衛星写真などで判明すれば、あるいは何かわかるかもしれないのだが、誰か調べてみてくれませんか。