rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

8月11日 評論「朝鮮革命の新たな転換期を拓いた歴史的な会議 小哈爾巴嶺会議80周年に際して」

 

 標記評論は、「1940年8月10日から11日まで敦化県小哈爾巴(ハルバ)嶺において朝鮮人民革命軍軍政幹部会議」が金日成主導の下、開催されたとの主張に基づき、その80周年に際して掲載されたものである。

 同評論によると、金日成は、同会議において「祖国光復の大事変を準備して迎えることについて」と題する演説を行い、「祖国光復の大事変を主導的に迎えるため、朝鮮革命の中枢力量である朝鮮人民革命軍の力量を保全蓄積しつつ、彼らを有能な政治軍事幹部として育てる問題」などを論じて、「大部隊作戦から小部隊作戦へと移行することについての新たな闘争方針を提示」したという。

 一般に知られている歴史的事実としては、このころまで金日成は300名以上のゲリラ部隊を率いていたが、日満軍警による討伐が厳しさを増したため、小部隊への移行を余儀なくされ、翌年春にはソ連領へと逃避するに至ったという(徐大淑『金日成』などから)。

 同評論も、金日成が後日、同会議を振り返って「万一、そのとき我々が大勢の流れを適時に見ることができず、目前の成果にだけ汲々とし大部隊活動を続けていたなら、力量も保存できず、自らの存在を終えていたと思われ、殉国した烈士としてだけ歴史に残ることになっただろうと感慨深く回顧」したとしている。

 要するに、同会議は、情勢が厳しい中で、それに直接立ち向かい玉砕の危険を冒すのではなく、後日を期して力量の保存を優先するとの決断を下した場ということであり、北朝鮮の公式史観は、それを賢明な決断として評価しているのである。

 このような歴史認識は、決して過去の「栄光」の称賛に終わるものではなく、今日の情勢への対処方針策定においても、「歴史の教訓」として活かされていると考えるべきであろう。昨年末からの「正面突破戦」も、その名前とは裏腹に、実は、この小哈爾巴嶺会議と類似の「力量蓄積」を重視する戦略といえるのではないだろうか。