rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

9月12日 金正恩が銀波郡を再訪問、建設場を指導。第2首都党員師団が咸鏡北道に到着

 

 金正恩が、8月6,7日に洪水被害を視察した黄海北道銀波郡大青里を再訪問、復旧建設現場を指導したことが伝えられた(訪問日時には言及無し)。同地は、金正恩の被災地に対する「恩情」の深さを象徴する場といえ、同報道でも、現地指導の写真24枚を掲載、その印象付けを図っていることがうかがえる。

 同地で住宅再建などの工事に取り組んでいるのは、金正恩の当初の視察時の指示に基づき動員された軍部隊であり、今次訪問で、金正恩は、「建設に動員された人民軍部隊指揮官らに自然災害復旧に人民軍隊を呼んだ党の意図と復旧建設事業が持つ重要性について繰り返し強調」するとともに、「施工の質を徹底して保障するよう実務的な対策を綿密に立てていかなければならないと強調」したとされる。出動部隊幹部に対して、金正恩自ら動員の必要性や建築の質の確保を説明しなければならない状況が存在するということであろうか。

 また、金正恩は、洪水が農業生産に及ぼす影響についても懸念を示し、「農作物被害を最小化し、産出を高めるため最後まで粘り強く責任をもって闘争」することを「懇切に負託」したとされる。黄海道一帯は穀倉地帯であるだけに、そのような点を強調したのであろうが、このような指示の出し方は、結果が良ければ、指示がよろしきを得たためと言えるし、悪ければ、金正恩の指示を的確に実践できなかった地元幹部に責任を問う根拠となるもので、巧妙な指導といえよう。

 一方、これまで報道のなかった第2首都党員師団については、本日になってようやく「第2首都党員師団、金策市に到着、被害復旧先頭に進入」との記事が掲載された。

 同記事によると、同師団は、「9日、列車で(咸鏡南道北端の)端川市に到着」したが、「咸鏡南道咸鏡北道を連結する道路と鉄路、橋が台風被害を受け」ていたため、重装備などを伴っての移動はできなくなったとみられ、「簡単な作業道具を持って(端川市を)離れることを決意」し、「10日、師団の初編隊が(船で)端川港を出発したのに続き、11日には二番目の編隊が北川(音訳)に設置した臨時橋を経て、端川市を出発した」という。

 結果、同師団(の一部部隊)が端川市に隣接する咸鏡北道南端に位置する金策市に到着したのは、記事中に明記はされていないが、11日のこととみられる。到着部隊は、まず同市内の金日成金正日の「モザイク壁画に謹んで挨拶を捧げ」た後、復旧作業を開始したというのがいかにも北朝鮮らしい。

 なお、上述の「臨時橋」については、別の記事で、「去る9日、被害現場に駆け付けた朝鮮人民軍朱明哲所属部隊軍人たちは、数十時間の間、昼夜を分かたず闘争を展開して数百メートルの臨時橋を敷設」し、更に、地元住民も応援して人が徒歩で渡る橋も併設したことなどが紹介されている。

 同師団は、結局、平壌出発(8日)から咸鏡北道での作業開始まで3日を要したことになるが、残余部隊や重装備の渡河、金策市以北の地域への進出などには、なお、若干の時間がかかりそうである。