rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

2021年1月23日 「国家経済発展5カ年計画」の基本目標

 

 21日付けの本ブログで、「党8回大会の基本思想、基本精神」について、「主体的力、内的動力の増強」といったところに表現が定式化されていると述べた。

 そこで、今日は、その党大会路線を経済分野で具現した「国家経済発展5カ年計画」(以下「5カ年計画」)の基本目標はどのように設定されているのかを改めて整理しておきたい。それを端的に示していると思われるのは、先般の最高人民会議第14期第4回会議における金徳訓総理の「報告」の中の次のような一節である。

 「(内閣は、5カ年計画の間に)党が提示した整備戦略、補強戦略を経済戦略として、自力更生、自給自足を基本種子、主題として堅持し、我が経済をいかなる外部的影響にも動揺することなく持続的に発展する正常軌道に確固として乗せます」

 これを私なりに解釈すると、「5カ年計画」の基本目標は、北朝鮮の経済構造を「自給自足」型、すなわち国内で獲得可能な材料・資源などだけをもってして、国内の様々な需要を安定的に満たす生産が可能な形に再編成することではないかと考える。「整備戦略」「補強戦略」というのは、まさにそれを指す言葉ではないだろうか、

 それは、換言すると、「成長戦略」すなわち生産の増大そのものを目指す戦略ではないということになる。北朝鮮の非公開資料に基づく一部の報道によると、「国家経済発展5カ年戦略」においては、年間平均8%程度の成長を目指していたとも言われる。本当にそのような目標を立てていたとすれば、それは、まさに現実的裏付けを欠いた主観的欲望の産物といわざるをえないが、いずれにせよ、新たな「5カ年計画」は、そのような生産の増大ではなく、生産工程の改編を主たる狙いにしていると考えられる。

 「5か年計画」においては、生産量の増大が(少なくともその主たる)目標となっていないことは、同計画に関し、主要生産物の具体的生産目標がほとんど示されていないことからもうかがえる。それに関し、金正恩の党大会における「報告」で示された数値目標は、平壌市と剣徳地区の住宅建設数(各々5万世帯、2.5万世帯分。これは生産能力の増大とはいえない)とセメント生産を年産800万トンとすることだけであり、金徳訓の前述「報告」で言及されたのは、そのうちの住宅建設目標だけである。

 更に、この「年産800万トン」という数字を、過去の北朝鮮の経済計画に関連して示されたセメントの生産目標ないし実績と比較してみると、その驚くべき意味が浮かび上がってくる。すなわち、金日成時代最後の長期経済計画(金正日時代にはその種計画なし)であった「第3次7カ年計画」(1987~1993年)におけるセメント生産目標は、2,200万トンとされていたのであり、1980年に「1990年代に達成すべき」として打ち出された「10大展望目標」の中のセメント生産目標は、2,000万トンであった。「第2次7カ年計画」(1978~1984年)の最終年度生産実績でさえ、1,200万トンと報じられていたのである。

 これら数値に基づくと、現在の北朝鮮のセメント生産は、当時の3分の2程度ということになるが、あるいは、以上の数字は、まったくの誇大宣伝ないし現実性を欠いた目標であり、当時の現実の生産能力を反映したものではないのかもしれない。

 いずれにせよ、「800万トン」に近づくためには、歴史を更に遡る必要がある。1971年から75年に実施された「6カ年計画」(5年で目標を繰り上げ達成とされた)におけるセメント生産目標が「750~800万トン」であった。ただ、最終年度の実際の生産量は具体的には公表されず、「1970年の1.7倍」とのみ報じられた。1970年におけるセメント生産の実数も未公表であり、「500万トンの生産能力を築いた」旨が示されている。仮に同年の生産実績が、その9割程度であったとすれば、1975年の生産量は、765万トンとなり、目標は達成されたことになる。

 要するに、現在の北朝鮮は、1970年代中盤当時に概ね実現できていたセメント生産をその半世紀後にあたる2025年までに実現すべき目標として改めて設定し、そのために国をあげて「総邁進」することを訴えていることになる。しかも、セメントが北朝鮮の産業部門の中で特に立ち遅れた部門とは考えられない。むしろ、数値目標を示すことができた唯一の部門であることからすれば、他の部門よりも、相対的には進んでいるとも考えられる。

 以上のような検討からは、「自給自足」を目指すということがどれだけ困難であるかをうかがうことができるし、換言すれば、それだけの苦労をすれば「自給自足」も可能なようにも思える。日本でも、田舎に住んで「自給自足」を目指して生活している人の話などを時々テレビなどで紹介している。凡人の価値観では相当厳しい生活と思えるが、本人の主観的満足度は、別のところにあるのであろう。家族で力を合わせて、創意工夫すれば、それなりに楽しい生活が実現できるのかもしれない。周りに迷惑を及ぼさないのであれば(ここが重要な前提となるが)、それはそれで尊重すべき生き方であろう。果たして国レベルで同じことが言えるかは議論の余地があろうが。