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主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

2021年3月3日 論説「社会主義競争は経済建設を推動する威力ある手段」

 

 標記論説は、 基本的な主張は、もちろん「社会主義競争」を推奨するものだが、各論的には、それに相当の制約というか留保を付しており、掲載の趣旨不明の論説である。

 まず、前段では、先般来の黄海製鉄連合企業所の全国の勤労者あてアピール発出などの動きを踏まえつつ、「社会主義競争熱風により生産と建設において飛躍と革新を成し遂げるのは、わが党の伝統的な事業方法である」、「社会主義競争は、生産者大衆の革命的熱意と創造的積極性を呼び起こし、すべての部門、すべての単位で絶え間ない革新と創造、前進を成し遂げさせる力強い手段である。経済事業の成果如何は何らかの客観的条件にあるのではなく、生産と建設の主人である勤労大衆の精神力をいかに発動するかにかかっている」などとして、「社会主義競争」の有用性を強調している。

 しかし、後段では、「社会主義競争は、すべての部門、すべての単位が集団主義的気風を高く発揮し経済建設全般において連帯的革新が起こるようにする威力ある推動力である」とした上で、「どこかの一部門や個別の単位の発展だけ志向したのでは、国の経済を全般的に打ち立てることができず、最後には先進的な部門、単位の展望的発展も危うくなる。すべての部門、すべての単位が互いに協助し皆が前進するときにのみ人民経済全般が活性化され、個別の単位の発展も確固として担保されうる」、「社会主義競争は、本質において先行する単位は遅れた単位を助けて導いてやり、遅れた単位は、先行する単位に追いつきながら、皆一緒に前進していく集団主義的要求を具現した大衆的革新運動である」などと主張している。

 さらに、そのような文脈の下、「単位特殊化、本位主義を打破し、徹底して国家的利益に立って社会主義競争を活発に展開していくとき、国の全面的で持続的な発展を成し遂げることできる」として、個別企業所・単位の利益を優先させることを戒めている。

 評論のこのような主張は、「競争」の概念を換骨奪胎するものではないのだろうか。もちろん、それが単なる「競争」とは異なる「社会主義競争」と銘打った所以であるのかもしれないが、それでは、あえて「競争」という言葉を用いて人の持つ競争意識を刺激し、もって「勤労大衆の精神力を発動する」という狙いは実現できないのではないだろうか。

 当面の力点が「単位特殊化、本位主義」の払拭に置かれている中で、いわば旧態依然たる「社会主義競争」キャンペーンを発動したために、このような趣旨不明の論説を掲載せざるをえなくなったと考えるのは、うがちすぎであろうか。