rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

2021年5月4日 「旧ソ連の経験を通じてみる北朝鮮経済」(補論)

 

 標記問題については、4月27,28日の本ブログで2回にわたって論じたのだが、本日別項で論じた「集団主義」に関する論説において、北朝鮮経済について「すべての部門、すべての単位が有機的に連結された集団経済」と主張されていたことに刺激されて、もう少し捕捉したいと思う。具体的には、「命令型経済体制」について、「非効率的ながらも、それなりのバランスを維持しつつ、体制を存続させていくことは可能」とした部分を敷衍したい。

 これに関連して、まず紹介したいのが4月24日付け「労働新聞」掲載の論説「経済事業に対する統一的指導は社会主義国家の基本任務の一つ」の中で、経済の均衡維持のための「国家の統一的指導」の必要性について、「国家的に成し遂げられる蓄積と消費の間の均衡、生産手段と消費財の間の均衡、支出と収入の間の均衡のようなものは言うまでもなく、採掘工業と加工工業の間の均衡、生産と輸送の間の均衡も、すべて国家の統一的指導の下においてのみまっとうに実現されうる」と主張していることである。

 このような言説は、まさに北朝鮮経済においては、『経済体制と経済政策』において「命令型経済」の基本的問題点として指摘している価格メカニズムが機能せず、それにかわる無数の調整活動を有限な能力しか持たない中央当局の命令によって処理しなければならないということを端的に物語っているように思える。

 そして、同書は、そのように「経済プロセスのルールと経済社会のメンバー(企業、労働者など)の個別的動機」が相反する場合には、「独裁的抑圧」ないしは「『文化大革命』や『洗脳』といった手段によって社会のメンバーの個別的な動機そのものを変えてしまわなければならないかもしれない」と述べている。今日の北朝鮮における「集団主義」の訴え(「単位特殊化、本位主義」批判)は、まさにこの「動機を変えてしま」おうとする試みといえよう。それが非常に困難であることは言うまでもないが、仮にそれが成功したとしても、それは、当該「命令」が実行されることを意味するだけであって、決して「最適経済状態」の実現なりそれへの接近を意味するものではない(非効率状態を内包したものである)ことに留意が必要であろう。

 また、同書は、「命令型経済」体制では、個別の単位における課題未達成がそこから供給を受ける予定になっている単位の生産不振を招くことで、経済全体に悪影響を波及させていくことを防止する機能が欠如しているため(資本主義体制下では、価格メカニズムにより緩和解消される)、個別の単位は、与えられた生産計画を「石にかじりついても」完遂することを要請されるという。ただ、実際には、それは不可能なので、各企業が原材料等の過剰な在庫を持つことによって、そうした波及へのバッファーとしているが、そうした在庫を持つこと自体がコストの面で不効率を生んでいると指摘する。

 本ブログで繰り返し紹介しているように北朝鮮が「党決定(=生産計画)の徹底貫徹」を繰り返し強調し、企業党組織による定期的な総括活動など様々な方法を通じて、そのために全力を注ぐことを求めているのは、まさにこの生産計画を「石にかじりついても」完遂しなければならないという必要性の表現といえよう。

 また、しばしば各単位に存在する「予備」の活用が強調されるのは、「過剰な在庫」の存在を前提にしているとも考えられる。ただ、一般的な原材料であれば一時的な供給不足は「在庫」で対応できるであろうが、電気の場合はどうするのであろうか。また、輸送も、その遅れに対して個別の単位では対応が困難と思われる。電力、鉄道運輸部門などが常に重視されている背景には、そういった理由があるとも考えられる。

 いずれにせよ、こうして原理的に考えると、仮に北朝鮮の主張するような「奇跡」が実現されたとしても、それなりの均衡・安定が確保できるだけであって、人々のまさに超人的努力を正当に反映した形で経済成長を実現することは期待しがたいことがわかる。