rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

2021年6月25日 「国家的利益を優先視する立場で」

 

 標記記事は、「百折不屈の革命精神と自力更生、刻苦奮闘の闘争気風、今こそこの精神と気風を最大限発揮すべきときである」とのサブタイトルを付して掲載されたもので、このところ殊更に強調される「国家的利益を優先視する」ことの具体例を紹介している。

 同記事は、「去る6月初、満浦8月2日工場では、減速機と電動機をあるセメント工場に送ってやった」ことを紹介した上で、その背景について、それら設備が同工場において直ちに必要とされるものではなかったものの、「展望的に(将来的には、の意)生産能力を拡張するとすれば(同)工場において利用できる設備であった」が、「しかし、工場幹部は我が単位(工場)の予備であることはすなわち国の予備であるとの観点をもち、国家的利益をまず考えて、これら設備を切実に必要とする単位に送ってやったのである」と説明して、このような行動を称賛・奨励するものである。

 同記事を読んで感じるのは、こうした行動を工場幹部のいわば犠牲的精神によらなければ実現できないのがむしろ問題であって、例えば各工場の使用資産と利潤なり生産高の比率(つまりROE)を工場の実績として評価するようなシステムを取り入れれば、遊休資産を持っているよりは、それを処分したほうが高い評価を得られるということになり、皆が自ずとそういう方向に進むのではないだろうか。そうしたシステムは、社会主義体制下においても工夫すれば可能であろう。そうした工夫を怠って、ひたすら精神主義的訴えによる犠牲的行動で資産の有効配分を実現しようとしても、その効果は限定的なものでしかないと思うが、どうなのだろうか。