rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

2月19日 評論「歴史に永く輝く2月の宣言」

 

 標記評論は、1974年2月19日、党第3回思想イルクン大会において、金正日が「全社会を金日成主義化するための党思想事業の当面するいくつかの課題について」と題する結論を述べたとされることにちなむものである。

 近年には、毎年同日に同様の論説・評論などが掲載されている。昨年の場合は、「全社会の思想的一色化を実現された傑出した領導者」と題する論説と評論が、一昨年(2018年)には本年とまったく同じ題名の評論が掲載されている。昨年が多少手厚い扱いであったのは、45周年という節目の年であったためであろう。

 いずれにせよ、それら評論・論説は、金正日による「金日成主義」宣布の意義を称賛した上で、結論としては、今日、それを継承する「金日成金正日主義」を提起した金正恩を称え、その領導に従うべきことを強調する内容となっている。ただし、「金日成主義」がいかにして「金日成金正日主義」となったのか、といった両者の関係については、ほとんど論じられていない。強いてあげても、昨年の上述論説に次のような部分がある程度である。

 「偉大な将軍様金正日)の不滅の革命業績を固く擁護固守し主体革命偉業を最後まで完成させていくことができる決定的担保を準備して下さった敬愛する最高領導者同志(金正恩)の老熟し洗練された領導の下に全社会の金日成金正日主義化がより高い段階において深化発展し・・・ているのが今日の目覚ましい現実である」

 その点は、実は、理論的には説明しがたいものがあるのではないだろうか。ちなみに、金正恩の「金日成金正日主義」提唱は、標記評論によると、「党第4回代表者会議(2012年4月)において朝鮮労働党は偉大な金日成金正日主義を党の最高綱領として堅持していくということを規定した『朝鮮労働党規約』を採択するようにされた」ことによってなされたとされる。

 なお、「金日成主義」との言葉は、金正日時代においては、対内的には一般に用いられていたが、対外的に露出する媒体(「労働新聞」など)では使用が控えられていた。それは、2月19日の関連評論においてさえ例外ではなかった。その理由は定かでないが、いずれにせよ、近年では(何年からと明示できないのは不勉強のせいでお恥ずかしいが)、上述のように堂々と日の目をみることができるようになっている。ただし、そのような「待遇改善」は、それが金正恩の「金日成金正日主義」によって継承され(端的に言えば換骨奪胎され)、社会の指導思想としての役割を終えた後のことであった。歴史的逆説を感じる。