rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

2月27日 評論「道徳は我が社会を支える基礎」(2月28日記)

 

 北朝鮮指導部が人々の「道徳」問題に関心を払っていることは、本ブログで既に紹介してきたところだが、本評論は、何故、それを気にするのかについて、社会主義体制の保全と直結した問題であるとの認識を直截的に示したものとして注目される。当該部分を中心に紹介したい。

 評論は、「道徳紀綱が緩めば、人々が精神的に病むことになり、社会主義思想と制度、伝統を固守できない」と主張した上で、その理由として、「党と首領に対する忠実性、人々の間の相互関係、日常事業と生活の基礎には、すべて道徳が置かれている」ことをあげる。

 更に、道徳退廃と体制保全の関係を示す具体例として、「過去、東欧社会主義の国々では、社会主義道徳を確立することに応分の注意を払わず、甚だしくは道徳に対して強調することを何か革命性を弱化させることのように見る偏向さえ現れた。結果、人々が腐ったブルジョア思想文化に幻惑され、精神道徳的に腐敗変質し、社会主義を守ることを道徳的義務以外のこととみなすようになった」ことをあげている。

 そして、北朝鮮の現状に対しても次のように警鐘を鳴らす。「一部の幹部は、道徳を要求することによってではなく、自覚的に守るべきものとだけみなして、道徳気風を立てる事業に余り力を注がないでいる。また、一部の人々の中で表れている異色的な生活風潮に対して、道徳紀綱を立てるための事業と結び付け強い闘争を展開せずにいる。」

 以上のような主張の背景には、「党と首領に対する忠実性」について、人々は、党と首領から多大な受けた恩恵を受けており、それに報いることすなわち忠実に仕えることこそが人間として当然の「義理」であり、「道徳」とは、そのような「義理」を感じ、それに基づいて行動することの原動力となるものである、との認識があると考えられる。したがって、人々の「道徳」が退廃すれば、そのような「義理」を感じることも、また、それに基づいて行動することもなくなり、結果、「忠実性」が失われるしかない、と判断しているのであろう。

 ただ、実際は、「道徳」以前の問題として、「人々は党と首領から多大な恩恵を受けている」というのは本当かという事実関係が問われるべきとも思うが、そこは当然の前提として、いわば「思考停止」されているのであろう。