rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

3月23日 金正恩雍正帝

 

 本日は、平素であれば社説「国家の法と規定を徹底して守ろう」と題すべきところであるが、同社説の内容に新味がないので詳述は避け、それとの関連で標題のテーマを論じたい。

 まず社説は、題目から想像できるように、国家の法規範について「守る人と守らない人がいてはならない」、すべての単位が内閣の指示、計画を厳守しなければならない、法執行機関が法の適用において「二重基準」を用いてはならない、といった内容を訴えるものである。結局のところ、これらは、広義の「官僚主義」批判といえるであろう。それが金正恩の昨年来の最重点課題になっていることは、本ブログで繰り返してきたことなので、今日はこれ以上詳述しない。

 私が、かねてそのような点から金正恩の大先輩にあたると目しているのが雍正(ようせい)帝である。我が国の中国史学の泰斗・宮崎市定先生の名著『雍正帝 中国の独裁君主』によると、帝は、清朝5代目の皇帝であるが、清朝が北京に入城し中国全土を支配下におさめてからだと3代目ということになり、清朝の統治基盤を確立した人物とされる。同書によると、帝は、地方勤務の多数の官僚から自らに親展の報告書(「奏慴」という)を提出させ、また、その報告書に直々に指示事項・コメントなど(「硃批」という)を書き入れて返送するシステムを大いに活用し、地方の実情把握や地方政治の引締めに努めたという。また、中央では、軍機処という皇帝直属の政策決定機構を設け、自らの政策決定への関与度を高めた。宮崎氏は、帝を「中国の独裁政治の最後の完成者」と評している。要するに、帝は、ただ官僚の担ぐみこしにのせられるだけの存在ではなく、そういった官僚主義と戦い、皇帝個人の指導権を確立・発揮した人物といえる。

 また、帝は、自らの皇帝就任にも貢献した有力な大臣・将軍を徐々に粛清するとともに、自分の兄弟たちにも厳格に対応し、服従しない者は徹底的に弾圧した。金正恩の「大先輩」というにふさわしい人物ではないだろうか。

 その雍正帝は、在位13年にして死去した。皇帝就任が45歳というからまだ50代の若さであった。しかし、宮崎氏は、その13年で、雍正帝流の統治方法は、二つの意味で限界に達していたのではないかとの見方を示している。一つは、そういった職務への精励が帝の健康に与えた悪影響である。帝の執務時間は、早朝から深夜にまで及んだという。もう一つは、帝の厳しい締め付けに対する官僚階層の不満の蓄積である。宮崎氏は、皇帝と官僚個人及び官僚階級の関係について、次のように書いている。

 「君主は政治上に最後の決定権を握っているから、どんな有力な官僚でも鶴の一声で沈黙させ、或いはそれを取り潰すこともできる。しかしそれは個々の官僚のことであって、官僚階級そのものではない。雍正帝の努力をもってしてさえ、官僚組織のごく一部分をやっと意の如く取り換えたに止まり、官僚制度そのものは依然として厳存している。」(同書182~183ページ)

 私は、この見方は、古今東西を問わず(と言っては言い過ぎかもしれないが、少なくとも北朝鮮政治を見る上では)適用可能な至言であると思う。翻って執権後8年を経た金正恩にあっては、どうであろうか。彼の場合は、若くして権力の座に就いたので肉体的には13年(あと5年)以上耐えられるかもしれないが(肥満が心配だが)、官僚層の不満の方はどうであろうか。現在のような「官僚主義」批判キャンペーンをいつまで続けることができるのか、そういった観点からも注視していきたい。