rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

6月15日 金与正「談話」関連動向

 

 標記については、13日「談話」の発表(14日付け紙面に掲載)にもかかわらず、国内での特段の具体的関連活動(「抗議集会」など)は報じられず、昨日の延長線的な形で、「我々の最高尊厳に手出しする者は無慈悲に踏みつぶす鉄石の意志」との共通題目の下、「情勢論解説」及び「反響」紹介的な記事2件、写真1件だけが掲載されている。

 このうち「最後まで連続的な行動で報復するであろう」と題した「情勢論解説」は、「我々は、(対応を)見守れば見守るほど、幻滅を生み出す南朝鮮当局とこれ以上対座することも、論議すべき問題もないとの結論を既に下した。残ったことは、天罰を受けるべき罪悪の代価を受け取ることだけである」として、交渉の余地のないことを改めて確認するとともに、軍に次の行動が委ねられたことに言及した上で、「無敵の革命強軍は激昂するだけ激昂した我が人民の怨恨を解いてくれる断固たる行動を開始するであろう」との期待を示している。

 また、「断固たる懲罰の時刻だけを」と題する記事も、「全国の人民が胸の中で燃え上がる憤怒を多少なりとも醒ましてくれる無慈悲で断固たる懲罰を指折り数えて持ちつつ日々を送っている」として、「懲罰」への期待を強調している。

 一方、報道写真は、「人間ゴミどもを죽탕쳐버릴(滅茶苦茶にするの意?) 滅敵の意志で心臓を湧き立たたせ生産を促進している」との標題を付し、従前のような抗議集会などの状況ではなく、平常の作業に勤しむ姿を写したものとなっている。ここからも、生産現場などでのその種活動は終了していることがうかがえる。

 今日6月15日は、2000年の金大中訪朝・初の南北首脳会談を受けての南北共同宣言の20周年に当たり、その間の南北関係を回顧する記事が多く掲載されている。その中には、昨今の状況を踏まえて、結局、南北の対立状況は変わっていないとする見方も少なくないが、それは違うと思う。というのは、8日の「対南部門の総括会議」において、「対南事業を対敵事業へと転換させる」ことが指示されたというが、20年前であれば、そのような指示はいわずもがななことであり、北朝鮮対南部門の誰もが(そして、おそらくは韓国側でも大部分の関係者が)当然の前提として、「対敵事業」に従事しているとの自覚を持っていたのではないだろうか。それを敢えて指示する必要が生じたということ自体が正にその間の変化の存在を示していると考える。北朝鮮国内でこのところ強調されている「敵はやはり敵だ」という表現についても、同様の指摘ができる。北朝鮮国内に「韓国はもしかしたら敵ではないかも」という発想が存在したからこそ、そのような語句が必要になったのであろう。

 そして、そのような変化をもたらしたものは何かといえば、やはり韓国のいわゆる「太陽政策」であると言わざるを得ないのではないだろうか、同政策の功罪は様々に論じる余地があろうが、そのような構造的変化をもたらしたことは否定できないと考える。しかし、本ブログのこれまでの分析が正しければ、まさにその効果が最近の一連の対韓「強硬策」の背景にもなっているのであり、誠に皮肉な結果と言える。

 今後、人民軍としても、前述のように「期待」を盛り上げられると、人々にカタルシスを与えるにたる、何か「見栄え」のする行動を実行せざるをえないであろう。ただ、その結果、北朝鮮が予告するような「悲惨な光景」が出現したからと言って、それをもって「太陽政策」が完全に破綻したと見るのは誤りであろう。

 逆の立場であるが、我々は、過去に寧辺の原子炉冷却塔や豊渓里の核爆発実験場が爆破・破壊される光景を目撃してきたが、北朝鮮の核開発政策が破綻したと信じている人は少ない。本ブログが予想するように、今後、開城の南北共同連絡事務所の建物が粉砕されたとしても、南北間の交流・連絡が完全に途絶えるわけではない。そこからまた新たな章が始まるに過ぎないと考えるべきであろう。