rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

2021年11月11日 「首領」の在り方をめぐって(雑感)

 

 このところ金正恩に対する無条件絶対の帰依を勝利の要諦として訴える論調が続いていることは、昨日の本ブログでも指摘したばかりだが、本日の「労働新聞」冒頭に掲載の評論「偉大な首領を高く奉じた人民の強勇な気象を満天下に轟かせよう」も、また、その一つである。「首領の偉大性に対する絶対不変の信念、千万の信念と義理で堅持した首領に対する忠実性! まさにこれが困難でも何百回も粘り強く起き上がらせる信念と楽観の無窮無尽の源泉であり、知恵と熱情を増幅させる不屈の英雄性を生み出す世の中に二つとない我々の威力ある武器である」、「総秘書同志のお言葉と意図をすなわち法と、至上の命令とみなして、些細な理由と口実もなく無条件に徹底して貫徹していくことを確固たる鉄則とみなす、まさにここに勝利の近道がある」などと主張している。

 こうした主張で特徴的なのは、金正恩に対する「首領」との表現を多用していることであるが、それと同時に、金正恩について、先代の首領たちとは異なる独特のスタイルを模索しているとも考えられる。

 それをうかがわせるのが本日の「労働新聞」に掲載の論説「以民為天、為民献身の理念を具現した我々式社会主義は必勝不敗である」の中の「今日、我が国においては、平凡な勤労者たちが首領と席を共にして隔意なく言葉を交わし、国事まで論じることが普通になっている」との主張である。それが現実を示しているのか否かは別として、「首領」との表現を用いつつ、そうした人民大衆との距離の近さを強調していることは注目すべきであろう。

 もちろん、同論説においても、最後は、「敬愛する総秘書同志の思想と領導を一つの心、一つの志で、忠誠で奉じる道に我が人民の無窮の繫栄と我々式社会主義の燦燦たる未来がある」とのお決まりの主張で結ばれているのであるが、やはり、同人の「偉大性」の一つ要素として、人民重視の姿勢とその発露としての人民との距離の近さを打ち出していることには留意が必要であろう。

 何故、そういうことを言うかというと、自戒を込めてであるが、そうした点への留意を欠き、従前の「首領」のスタイルを絶対的な基準とみなしていると、金正恩に関し、それと異なる現象が生じた(あるいは、それを満たせていない)場合、それをもって同人の「首領」性を減じる要素と見てしまう錯誤を犯すおそれがあるからである。金正恩は、金正恩なりの「首領」のスタイルを模索・形成しつつあると見るのがより生産的な分析アプローチなのではないかということである。

 ところで、韓国の報道によると、さきごろ、国情院が国会での非公開報告において、北朝鮮内部で「金正恩主義」との表現が出現したとの見方を伝えた由である。説明を受けた議員の発言に基づくものであり、どのような状況で、どのような意味で用いられているのかも明らかでないなど不確実な話で、評価は困難だが、とりあえずの見方としては、そうした概念の使用は、あっても不思議ではないが、逆に実質的な意味は大きくない出来事と考える。

 その理由は、これまで本ブログで繰り返し言及してきたように、既存の「金日成金正日主義」なる概念が、まさに実質的には金正恩主義と呼ぶべきものだからである。金正恩は、執権直後の2012年の早い時期に「金日成金正日主義」を打ち出すことによって、既存のイデオロギーを自由自在に換骨奪胎して利用する解釈権を手中に収めたといえる。仮に今後、「金正恩主義」なる概念が公式に用いられることになるとしても、それは、結局、「金日成金正日主義」をそう呼び変えただけのものであって、イデオロギー的な内容面での実質的な変化を意味するものとはならないのではないだろうか。

 聯合通信などは、前述のような最近の金正恩に対する忠誠強調論調に関し、「金正恩主義」の出現と結び付け、いわば、その公式デビューのための地ならし的なものとの見方を盛んに報じているが、両者は、必ずしも直接的に結びつくものではないと考える。