rodongshinmunwatchingのブログ

主に朝鮮労働党機関紙『労働新聞』を通じて北朝鮮の現状分析を試みています

2023年8月13日 評論「我が国家第一主義時代は自主、自立、自衛の思想がもたらした偉大な時代である」

 

 本日の「労働新聞」第1面に掲載された標記評論は、3段構成の大論文である。

 まず、序論で、「我が国家第一主義時代」について、「新たな主体100年代(=2012年~)は、我が革命が長久の期間経てきた無数の苦難とあい路がまた再現され最悪の激難が相次いで見舞った暗黒の日の連続であった(が)・・我が国家の国力と位相は急速に上昇強化された。まさにこれが過去の時期と画然と異なる新たな発展の時代、我が国家第一主義時代を特徴付ける根本徴表である」と主張して、それが金正恩の執権時期を指すことを明示している。

 その上で、最初の「自主、自強の強い力の噴出」と銘打った段では、その間の経緯を回顧しつつ、「国家の全面的発展と無窮の繁栄のための我が人民の積極的な闘争により、共和国の先進性と現代性、英雄性がより高く轟いている」などと自賛している。

 次の「無尽強力な発展潜在力備蓄」と銘打った段では、社会主義建設の現段階について、「自主、自立、自衛の旗幟の下で始められ世紀を継いで進行してきた社会主義建設は、今日、自らを守り保存する段階を抜け出て、国家の全面的復興(富興?)という新たな発展局面に入った」と主張し、その「時代」としての独自性を再強調している。そこで目標とされているのは、「自立的経済力と自衛的国防力を建設するということ」であり、前者については、「現在、我が党は、国家経済の現況と潜在力に基づいて、持続的な経済上昇と人民生活の顕著な改善向上へと進むことを目標として掲げて(いる)」と敷衍している。

 三段目では、「主体朝鮮の高い尊厳と国威」と銘打って、「去る10年間の(歴史的に見れば)短い期間に我が共和国は、世界的な強国の地位に登り立った」と主張している。そこでは、「世界万邦に轟く我が共和国の尊厳と国威」であることの意味として、「まず、その誰も軽んじることも比べることもできない最強の絶対的力を備蓄した強国であるということ」すなわち「共和国武力の無尽の力」、次に「国際的地位と影響力を行使する世界政治の中心であるということ」をあげている。後者については、「米国自らが認定し不安がり恐れる国、国際的地位と影響力を行使する国、自己の決心と意志によって大勢を主導する国となった」と主張する。そして、そうした状況は、「敬愛する総秘書同志がいらっしゃるから」、「総秘書同志の賢明な領導があるから」こその結果であるという。

 結びの部分では、「今日の時代を我が国家第一主義時代というは、稀世の偉人であられる敬愛する総秘書同志の偉大な自主精神と領導が輝かしく具現された偉大な時代であるため」であることを改めて繰り返した上で、「皆が敬愛する総秘書同志の周囲により団結し、偉大な我が国家第一主義時代を限りなく輝かして行こう」と訴えている。

 同評論は、かなり「ごった煮」的(よく言えば多角的)で要約は容易でなく、かなり恣意的であるが、私なりの注目点としては、次のようなことを指摘しておきたい。

 まず、「我が国家第一主義時代」との概念が、金正恩の執権時期を指すものであること、そして、それが以前の時期とは「画然と異なる」、より栄光に満ちた一つの「時代」であるとの主張である。こうした「時代」認識は、最近の論調の中で、金正恩を先代指導者(金日成金正日)に勝るとも劣らない者と位置付けたと解することのできる賛辞が散見されることと同一線上にあると考えることができるかもしれない。

 次に注目したいのは、当面の経済建設の「目標」として、「潜在力」(つまり今現在は発揮されていないということ)に基づき、「持続的な経済上昇と人民生活の顕著な改善向上へと進むこと」を挙げていることである(下線部)。これは、すなわち、「厳しい経済制裁が続く中、北朝鮮経済の実際的課題(目標)は、各生産単位の稼働を円満に保障するとともに、関連企業間の連携を適切に調整することによって、生産活動が縮小スパイラルに陥らないようにする(ないしは、そこから脱する)ことにあるのではないだろうか」との見方(8月3日付け本ブログ参照)を裏付けるもののようにも思える(我田引水の解釈かもしれないが)。

 最後に、「国際的地位」の根拠として、米国が「不安がり恐れる」ことを挙げていることである。北朝鮮の核・ミサイル開発などの行動に対し、非難・牽制の意味で発している米国をはじめとする各国の声明などが、逆に、彼らが世界の中心において畏敬の対象となっているとの見方の根拠とされているのである。こうした論法は、国内宣伝のための利用(方便)という側面もあろうが、指導部(少なくてもその一部)の発想として、素直にそう感じているという可能性もあるのではないだろうか。いずれにせよ、北朝鮮の区々の行動に対し、逐一批判することの意味・効果については、慎重に検討する必要があるよう思われる。